JP/EN

Encyclopedia of niime

播州織昔語り 西角博文さんの巻 〈前編〉

2026 . 07 . 18

「健康が第一や。ストレスを溜めないのとリズムを崩さないのがすごく重要やな。健康やから毎日元気でおれるし。」

そう語るのは玉木が師匠と公言する播州織職人の西角博文さん。お隣の加東市から西脇市内にある工場に毎朝7時に来て、3時にはその日の仕事を終えるのが毎日のルーティンだ。土曜日は機を織るか、月に2回の販売イベントに出かける。そして日曜日は完全休業。

西角「生活のリズムが出来とるから崩れへんねんな。身体に悪いとこないから病院にも行かへんし。せやから、病気になるっていうのは、たぶん、そうゆうリズムが崩れよるんやろな。」 ー西角さんの場合は規則正しいというか、毎日のリズムが安定しているわけですね。

西角「疲れないのが基本や。もう78やからな。」 ーえッ!そんなになるんですか。見えないですね。70代前半かと…。全然変わられませんもんね。

西角「四捨五入したら80やな。病気せんと健康で生きておきたいというのはあるな。基本的にはいつ向こうに行ってもいいように毎日を生きてる。それ大事やろ?」 ー日々悔いなく…大事なことでしょうね。

西角「終活の段取りもしてしもてるから、嫁さんも家のモノ増やすことを嫌うし。オレのつくった生地は増えるけどな(笑)。みな売れるわけちゃうから。」 ー西角さんは西脇の南隣の滝野(加東市)の方ですよね。

西角「本家が西角綿業ゆうて、明治の代から百年以上続いとったんかな。工場があかんなってきて不動産業もしてた。65歳の時までは西角綿業に勤めとったから、サラリーマンやった。うん、月給取り。せやから今厚生年金で飯食える。会社がやってかれへんからと、60の時から給料減らされとったな。」 ー65歳までいうことは、それからもう13年ですか。

西角「西角綿業におった時から、社内で自分で別事業として自販をしよったから。」 ーあ、そうなんですか。

西角「機屋の請負仕事以外に自分でつくったものを自分で展示会とかに持って行ってた。東京まで行ったり。うん、それで玉木にも出会ったから。」 ーその自ら織ったモノを販売までしようというアイデアは…

西角「それはもう昔から。僕は西脇工業高校の紡績科を出てから京都のレースの会社に2年半行ってたんやけど、そこにミシン糸を作って全国に販売する部門があって。自販をしないと、自分で値段をつけないと、もうこれからの時代はやっていけないというのが分かったから。自販って強いなって思ったんです。それでこっちに帰ってきた時も自販の話を皆に言うたけど、その時分はまだ受注の機織り仕事で十分食えたからな。22歳で帰ってきたから、50年以上前か。うん、その頃は仕事はナンボでもあった。」 ー西角さんは何年生まれなんですか?

西角「昭和22年…1947年やけど。そやから、その時分は仕事がもう湯水にようにあって儲かってたんですよ。そこそこ仕事しとったら食えた。」 ー1947年生まれで、 22歳で帰ってきたということは、 1969年(昭和44年)ですね。その頃はもう昭和30年代のいわゆる「ガチャンと織れば万の金が儲かる」と言われた『ガチャマン景気』の時代ではなくて。

西角「ないけど、まあまあ、うん。その時代から10年か15年間くらいが全盛期やったからな。いつ頃になるかは分らへんけど、いずれ播州織産地がアカンようになる、落ちるのは分かっとったから。我々がイギリスの織物産業を潰してきたわけやから、自分らが奪い取ってきたから、今度は潰される番やからな。それはずっと思ってた。それで、やっぱり自分で販売していかなアカンてゆうてたよ。当時は仕事があったから別によかったわけやけど。」 ーはい。

西角「自分が自販をするって決めた時に産元さんに、飯いっぱい食えないから自販しに行くねんでって言った。そのことをはっきり宣言したからな。産元の人もいや、行ってくれていいって。15、 6年…もうちょっと前か。その時分からもう、仕事がなかったからな。飯さえ食わせてくれたらそんな必要ないわけやけど、行ったからってすぐ儲けに繋がるわけやないからシンドイもん。そうやって出て行ったから今があるねんけどな。急に始めたわけやないから、今は積み重ねの延長線上にあって、工場はアカンようになったけど、お客さんと繋がったからね。そうやって始めて。」 ー西角さんが自販を始められた頃は、他にはそういう方はいらっしゃらなかったんですか?

西角「何人かいてたと思いますよ。工場によってみんな体質というかやり方が違うから。自分は自分に合うやり方をしないと。」 ー16年ぐらい前ですか。それで自販を始めて、当時はどういうところを回られたんですか?

西角「展示会やな。東京に年2回くらい出しよったから。」 ー展示会もそんな頻繁には無いんとちゃうんですか?

西角「年に2回あったら十分。2回あって試織して新しい商品を持っていかなあかんから、半年にいっぺんがちょうどいい。展示会用に新しい商品を持って行かないと。他の出展者は古い商品も持ってくるから。よう見てる人は、これ前回も出てましたね、とか言う人がいてるんやな。その人はちゃんと見てくれてるわけや(笑)。」 ーよく商品を見てくださって指摘をしてもらえたということですね。

西角「その人には感謝やな。ちゃんと見とってくれたゆうことや。」 ーそれは生地が集まる見本市みたいな場ですか?

西角「生地、全国の自販をしよる織屋さんや繊維関係の人、色んな産地の業者が集まって、みんなそれぞれ違うから、よそのやり方を勉強できるわけ。商売のことも。その人らはもっと昔から自販をやってるから、情報いっぱい持ってるからいろいろと教えてくれるわね。それはありがたかったね。」 ー具体的な産地で言うと…

西角「遠州とか長浜とか、桐生とか、日本の産地。今治のタオル屋さんとか、他の業種の人も。だからいろんな繊維の業種、アパレルに売るための。すごく勉強になるわな。 そこで売れんでもええ、そこで話をすることが、ものすごい情報として重要やったな。」 ーなるほど…。情報交換といいますか。

西角「こっちにおったら分からんことばっかしやから。だから変な言い方したら、情報収集しに行きよるみたいなもんやね(笑)。」 ーホンマですね。この産地に閉じこもっていたらできなかったことですね。

西角「そうそう。西脇におってもアパレルさんの情報が入ってけェへんから。」 ー直には。

西角「で、アパレルさんの欲しいモノがいろいろと分かってくるし。その場で売れんでもいいのよ。アパレルさんと気さくに話ししとったら、何が欲しいとかって分かってくるやんか。その人が買ってくれなかったとしても、他へ持って行ける。」 ーなるほど、なるほど。

西角「今もワシは神戸の新開地のイベントへ行ってるやん。ひとつは情報やねんな。何が売れるとか、何が欲しいとか、ここにいてはわかりませんやんか。お客さんと話をすることによってお客さんが欲しいもんが分かるから。それに向かって作れるから。自分が作りたいモノと、お客さん欲しいモノは違うから。昔は自己満足で作ってたけど、今はもうお客さんが欲しいモノを作らないと買ってもらわれへんからな。技術的に難しいようなモノじゃなくて簡単なモノでよくて、ちょっと見え方の違うモノが必要やな。」 ー深いですね。

西角「手の込んだもんいらんねん。」 ーシンプルなモノで良いと。凝ったモノでなく。

西角「自分らはそっちやんか。他とちょっと違うもん作りたいって思うねんけど、そんなんじゃなくてもええねん。よそに無いような表情のモノが欲しい、シンプルでも表情は変えられる。シンプルでも糸を変えてさえ、違う表情になるから。そういうのが分かってきたんや。分かってきたというか、自分は色々と織機に装置付けてこだわって織った方がええと思ってたけど、そんな風にこだわっても売れへんもんは売れへんし。」 ー職人として凝って作りたいモノとお客さんの求めるモノとの違い…

西角「うん。それはお客さんの前に出な分かれへんことやわ。今は自分にもファンがついてるから、それぞれに買っていくから。その人が好みそうなモノを、買ってくれるかどうかわからへんけど提案していく。」 ー外に出てっていうのはほんとに…

西角「大事やなぁ。いや、行ってもお金儲けとかは出来へんで、そんなガバッとは。せやから情報買いに行っきょると思たらええ。とりあえず世の中を知るっていうのが大事やな。一般の人の考え方な。お金持っとる人も持ってない人もね。その中で自分にできることがハマったらええねんから。だからお客さんに自分にはできんことはできんってハッキリ言うし、よそで買ってくださいとか言うもん。自分がその人に100%提供できるわけやないから。自分の個性を出さないと、埋もれてしまう。個性のある商品でお客さんに買うてもらう。難しいけどな。」 ー求められるのは凝ったモノというよりも、シンプルでも個性があるモノだと。

西角「あの人が作った生地やって分かる、玉木も玉木の生地やと分かるように、俺が作った生地で西角さんのええなって言うてくれてこう…それはお金になるかどうかは別問題やな。だからファンを増やす。究極言うたら『信者』みたいなもんや。一種そういう感覚やと思うねん。玉木もそうやと思う。変な言い方やけど。西角さんのファンやでって言われる、昔はそんなこと考えたこともなかったら、お客さんがそんな風に言い始めたから、あ、そうかと。」 ーそれはやっぱり積み重ねがあるからこそでしょうね。

西角「(そんな風に言われるようになったのは)ここに来てやっとやから。俺も発信してなかったし、そんなに。」 ー発信の仕方としては…

西角「インスタ上げてるやんか。」 ーインスタを。すごい!

西角「イベントに行く時とか、自分がどこにおるのか、インスタに上げてくれってお客さんに言われたんや。新開地に明日行くんやったらインスタで分かれば合わせていけるからって。誰かにやってもらってるんですかって言われたら、いやこれは俺がしょるねんって。分からんもち、とりあえずしょるねんって(笑)。」 ー素晴らしい。

西角「なんとなく出来とるからまあええねん。文章間違ごうとるって息子に言われたけど。」 ーでもいついつここにおるというのが分かれば…

西角「そうそう、それだけでお客さんは来てくれる。うん、だから、インスタ見て、あ、来とってやからそこ行こうとかね、僕は加古川のイベントへも行ってるんやけど…」 ーそうなんですね。

西角「うん、加古川の志方にね、第二、第三土曜日と。そこに喫茶店があって、「露草」ってギャラリーがあんねんけど、そのギャラリー貸してもらって、商品持って行って売ってんねんけど、加古川やったら近いやろ?一本道で来れるから。せやから、西脇までは来られへんけど、ここやったら来れるからって来てくれる、うん。なんでか知らんけど向こうの店長に繋がって、来てもらってもいいよって言われたから。」 ーまあ、ほんまアレですね、“ 一日にしてならず。”というか。

西角「そうそう、だから、これまでやって来て、なんかワシの人間性を見てOKくれたったんかなって思う。」 ーやっぱり、モノづくりいうたら、その人の個性や人柄が反映される…

西角「うん、だから多分、自分も欲はたいしてないから、お金お金って言うてないから。向こうが気ィ遣うてや。ワシはな、そこ行ったからゆうて売り上げ無かっても、坊主になっても別にそんなんなんとも思てへんからって言うとんねんで。俺にはそんなに力はないから。で、インスタ上げかけてからやっぱりお客さんが自分を目的に来てくれてやから。」 ーやっぱり違いますか。

西角「違うねん。やっぱり発信はしないと。」 ー大事ですね。

西角「加古川や高砂の近辺やったら、構えんでも来れるから。西脇までやったら構えて来んなんから。」 ー街の方からやと片道一時間ぐらいですかね。

西角「一時間超えたら構えると言うてや。」 ーお客さん的にはどうですか?

西角「玉木のお客さんも結構来てくれてやし、結構買ってくれてや。」 ーそうなんですね。

西角「自分より若いで(笑)。」 ーそれはそうでしょう(笑)。

西角さんの播州弁による、自然体で飄々とした語り口に魅了される。

播州織職人としての豊富な経験と技術力と矜持、そして先の時代を的確に読む目と、旺盛な好奇心で謙虚に他産地からも学ぼうとする姿勢…。

群れから離れることを厭わず、しかしおのれに無理を強いず、自分の信念に従って歩んできた西角さんの言葉の数々はシンプルでありながら含蓄がこもっていた。

次回、玉木との運命的な出会いや、播州織の昔々を語る西角さん。貴重な産地の歴史を口伝で伝える後編もどうぞお愉しみに。

Original Japanese text by Seiji Koshikawa.
English translation by Adam & Michiko Whipple.