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Encyclopedia of niime
『きもちいい は うつくしい』出版記念白熱トーク ”tamaki niimeってなに?” 〈後編〉
『きもちいい は うつくしい』出版記念白熱トーク ”tamaki niimeってなに?” 〈後編〉

2026 . 04 . 22
昨年末、ついに世に産まれ出た『きもちいい は うつくしい』。玉木新雌はじめての著書をめぐってのお話し会は、新雌邸のお座敷でフラットに玉木を囲んで参加者が意見を交わす、熱いディスカッションの場となった。本に表わされた玉木の語録の数々を通した、tamaki niimeというブランドの本質についての語り合いは、自ずとその唯一無二のモノづくりから西脇と日本社会の今後のありかたを皆それぞれに考えることへと、広がり深まっていった。
〈前編からの続き〉
玉木「さっき、言葉では言い表せないって大森さんが言ってたじゃないですか?結局、何のためにこの本を創ったか?って言われたら、スタッフに読んでほしかったんですよ。モノづくりをするのに、こういう考え方とか、こういう想いで創るんだよ、みたいなところを共有する術がなくて。毎回同じことを言うんですよ、いろんなスタッフに。でも、みんな、あんまりわかってくれてないなと思うんですよね。通じてないなっていうのを感じるから…これ読んだからって、通じないってこと??」
越川「だから、感覚的に読んでもらったら、と。」
玉木「感覚的に読んだら通じるの?」
大森「僕の見解で言うとね、好きだから仕事がやれるっていうのは、もちろん、すごく理想的で。みんなそうなってくれたら、確かに素晴らしいと思うんですよ。」
玉木「うん。」
大森「ただ、僕もね、tamaki niimeのお手伝いした時に、現場の皆さんとお話をして、『好き』っていうことをあんまり前面的に出し過ぎると、逆に戸惑うんじゃないかなと思う時があって。好きとか嫌いとかいう概念じゃなくてね、玉木さんは好きでやっているというよりも、『ガチ』でとか、最近の若者の言葉で言うと、『マジ』とか『ガチ』とかね。だって、最初好きで始めたことでも、作品が売れなかったりとか、苦しい時期もあったわけじゃないですか。少なくとも、その時は好きか嫌いかという概念じゃなかったと思うんです。どちらかというと、嫌いになった時もあるのでは?と。」
玉木「何が?」
大森「やっていること。」
玉木「仕事がってこと?」
大森「それはないですか?」
玉木「ない。」
大森「苦しい時期があったとは確かに書いてあるので、その時は好きとか嫌いとかいう概念は抜きにして、『ガチ』になってたっていう感覚の方が伝わるんじゃないかと。」
玉木「好きとガチは一緒じゃないの?」
大森「違うと思う。」
玉木「私の中では一緒なのよ。…その違いなのか。」
大森「いや、好きとか嫌いとかいう概念を取っ払って、『本気』になってるっていうことの方が、僕は大事なんじゃないかなと思うんですよ。そっちを伝えることの方がいいっていう風に思ったんです。」
玉木「わかった!好きっていうことが大事って言いたいわけじゃないんやけど、愉しんでやってるっていうのが、『ガチ』って言った方がいいですよ、ってこと?」
大森「うん。僕も最近特にね、管理職になって、若い人が入社してくるから。」
玉木「どうヤル気を出させるか?本気でやれよって言った方がいいってこと?」
大森「本気でやれよっていうのもおかしいから、本気になるように、環境を…」
玉木「本気になるようにって、どうやってするの?」
大森「これはね、我々はやっぱり東京にいるから結構都合よくて、競争社会なんですよ。競争のいいところって、少なくとも『ガチ』になるっていうのは間違いないです。好き嫌いは一旦置いておいて。」
玉木「やるしかなくなるってこと?」
大森「いやいや、負けるのって嫌じゃないですかという話。」
玉木「それって、でも、負けてもいい人もいるで。」
大森「いますいます。いますけどね。せっかく競争社会にいるから…」
玉木「それは東京だからね。」
大森「うん、かもしれない。」
玉木「田舎はムズイよね。逆にね、競争社会にはいない人多いよね。」
大森「ひとつ、『マジ』になる。マジになり方として、今もシステムとして資本主義社会だから。」
玉木「東京に出て行っている時点で、その人ってすでにもう『ガチ』の人じゃないですか。やっぱり都会に行って就職して、いろんな闘いで。やっぱりこう、中途半端では帰れないみたいなのってあるよね。そういう想いが田舎にはないとは言わんけど、その温度差は感じる。でも、東京のあの感じがいいとも思わない。闘って、最後、疲弊して、“廃人”みたいになっていく感じ。だから、『ガチ』がずっと継続し続けてても疲れ果てないというか、それがまた愉しみに変えられるような『ガチ』さ、つうの?」
大森「だから平たく言えば、好きってことなんじゃないの?って言い方もできると思うんですけど、それって趣味の範囲で。やっぱりビジネスなんだから。」
玉木「いや、ビジネス大事よ。」
大森「好きはいいと思うんです。でも好きというところで終わってしまうと、ビジネスにならない。」
玉木「それはならない!あ、だから、執着しないという意味ね。ビジネスだからお金に対して執着しないのはアカンけど、売り上げ取りなさいとか突然言うと、あんまりそういうことを考えたことのない人は、すごくヤル気を無くしたりする。」
大森「ああ~…。(頷く)」
玉木「数字数字って言われたら、もうできませんみたいなモードに入っちゃうから、いや、愉しもうか?まずは愉しむことからやってみようか?とか言ってるんだけど…でも、それが答えなわけでもないでしょ?」
大森「うん。」
玉木「どうしたらいい?」
越川「玉木さん、スタッフに背中を見せるっていうのは、去年の年末から言ってましたよね。それは私についてこいというような率先垂範というか、徒弟制度っていうんじゃないけどいい意味で引き継いでいくってなった時に、tamaki niimeを見ていて感じるのは、この『きもちいい は うつくしい』の本の中にも書いてあるんですけど、頭で考えるよりは手足を動かすっていう。それってすごく…」
玉木「究極は違うで。頭も使わんと。」
越川「それはそうです。そこは…」
玉木「だから、得てしてどっちかになっちゃうんじゃない?スタッフによっては、もっと頭使ってって怒ったり、グチグチ考えてばっかりでって言ったりするけど、でも、スタッフ全員一斉にという時に何ていうか?って考えたら…何も言えなくなるんですよ。」
大森「でも、この本に書いてあることは、先に手を動かしてみようっていうのはいいと思うんですよ。要は、体から始まる人もいれば、頭からの人もいるけど、その、よくわからない感じがワクワクになってくる、心になっていくみたいな。やっぱり手を動かす、行動すると。」
玉木「だから、それが好きかどうかは、後でいいかなと、私も最近思ってます。まずはやってみる。最近始めたのは、動物さんの餌やり。そのために朝7時に来るっていうのを、今まで石倉一人がずっとやってくれてたんだけど、いつまでもこのままじゃあかんなと思って強制的に当番制にしたんですよ。小学校みたいに。ウサギのエサやりとかあったじゃないですか。そういうふうにみんなに一回関わらせようと思って、順番にやってみたら、やっぱりこっちの方がいいなと思うから。やり方がわからないとか、文句というか苦情は来るけど、でも、やってみないことには。1、2年待ってみたけど、みんなが動物さんと距離が近くなってほしいと思ってもならないし、動物のことをよく知ってる人と、全然知らない人に分かれちゃってたから、やっぱりまずは一回、好き嫌いじゃなくて、仕組みにしてみる。その上で、もっといい方法が出てきたら、変えてみたらいいんじゃないと思います。…でも、西脇市をどうしていくかとか、日本をどうしていくかとかって、何か“書面”で始まるじゃないですか。こういうプランでいきましょう、先ずそれをみんなで共有しましょう、ってなるけど、私には全然しっくりこない。」
越川「とりあえず、始めてみようということには…」
玉木「ならない。ゴールがないと始められないことになる。とりあえず頭の中で完成させるでしょう?これからの日本、それでいけるのかな?と思って。」
越川「『niime百科』の毎年の年越し企画の『ゆく年くる年』を今、インタビュー終わって文章化しているところなんですけど、今、まさに玉木さんがおっしゃっていた、動物たちの世話をみんなでやるっていうのを取材で聞いて、その時に僕の頭に浮かんだのは、あ、『niime村』が稼働し始めてるなっていうふうにも思えたんですよ。どういうことかというと、村の住民の役割として、動物の世話っていうのが義務付けられるっていうかね、村の中での位置づけがあって、ちょっと動物が苦手って人もいるかもしれないですけど、シフトを組んでみる。そういう役割をシェアするっていうのが、コミュニティとしての『niime村』をとらえた時に、組織の新しいあり方として、すごいムラ化して来てるなというか、そのひとつの現れなのかなと。面白いなと思いました。」
大森「すみません、僕ばかりしゃべっちゃって。この本で書かれていること、とにかく言語化はできなくても、玉木さんのやってきたことっていうのは、僕はすごくね、あまりにも合理的だと思っていて。それは正しいという意味で。例えば世界的に今、環境を良くしましょうとか言って、欧米を中心に、SDGsとかを掲げているわけですけれども、彼らは経済と環境の両立という言い方をするわけですよ。」
玉木「難しいこと言うね(笑)。」
大森「はい、『SDGs』とは、『持続可能な開発目標』っていう訳し方をするわけですけど、その“両立”っていう考え方がそもそも…」
玉木「無理がある。」
大森「おかしいよねっていうことを、ちゃんと言ってくれてるんです。つまり、人間も植物も動物も全部生き物なんだって。それをいうと、地球も生き物でしょう?全部生き物ですよね。つまり包含されているわけですね。我々はすべて地球の一部であると、だからそれでつながっている、循環なんですっていうことを言ってるわけなんですよね。」
玉木「言ってる。」
大森「だから、欧米的なSDGsに対して、少なくともこれは日本的な考え方だと思うし、本当の本質的な循環ですね、ということも言ってくれてるし。普段の生活や仕事の中で動物を飼っているっていうというのも、やっぱり境目をなくしてるわけですよね、人間と自然との。もっと言うと、犬をこれだけ飼っているというのは、ものすごく合理的で。犬って、縄文時代の昔から、自然と人間との橋渡しで、なぜか人は犬とだけ生活を共にしてきたわけですよね。あの『もののけ姫』の中でも、モロの君という犬神が自然界から人間に対して警告を発しに出てくるわけですけども、tamaki niimeで飼っている犬も秋田犬とオオカミのハーフなわけでしょう?そこから始めるか!って(笑)。めっちゃ合理的なんです。ハタから見たら、この人、何やり出すの??って思うんですけど、いやいや、自然と人間との橋渡しじゃないかと。」
玉木「そう。」
大森「全部つながってるから、それが社員みんなに理解されてくると、すげえな、この会社!っていうことになってくることは間違いないし、僕はやっぱり東京で、もう図体のデカい会社ばかり相手にしてて、社長とかと話しててもそういう話は一切出てこないから。オモロない。」
玉木「言った方がいいよ。」
大森「言ってもわからないから(苦笑)。実はこれから日本を支えていく、本当の意味で持続可能にしていく人がここにいるんだっていうことを、少なくともこの周辺の方々には分かっていてほしいというのが、僕はあるんですよね。ここ、『日本のへそ』西脇にいたんだっていう。…ホメ過ぎですか?」
玉木「一番合理的だと思ってるよ、私はね。でも確かに理解されてないよね。それはあるな(苦笑)。」
越川「だから、本当に玉木さんの進み方ってパズル的だなって、僕は思ってて。設計図ありきじゃないんで。ちょっと何やってんだか分かんないみたいな。ひょっとしたら本人さえわかってないんじゃないかなと思える節があるけど(笑)…」
玉木「わかってるけどさ。」
越川「そう、でもそこは直感に従って自分を信じてやってるし、スタッフを信じてされてるっていう。それで全体像が見えた時に、あ、組み上がった、みたいな。tamaki niimeの歩みって、その積み重ねかなっていうのをすごく感じています。だから、もっと大きいパズルを玉木さん、いくつも抱えているというのがあって。」
玉木「常にね。それはあるね。」
越川「それが同時進行で動いて行ってるんじゃないかなと。そのワクワク感をハタから見ていても感じますし、一緒にやるような人たちが、本当、もっとここに…」
玉木「増えたらね。」
越川「うん、集まって来たら本当に面白いと思うし。2016年に今のshop&labに引っ越してきた時のオープニングパーティーで、いきなり第一声で玉木さん、「ここ『日本のへそ』から!」って(笑)。」
玉木「言ってた? だって『日本のへそ』だもん。」
越川「当時だと、『日本のへそ』って、全然ファッショナブルでもなんでもないよな、みたいな捉え方が一般的だったところで、もう正面切って、『日本のへそ』だからここに来た!みたいなことを言ってたんで、そもそももう、全然飛び越えてるわと、さすがだなと思いました、はい。」
玉木「…だいぶ紐解けてきた。」
大森「この本の中でも、『後々の未来に、あそこが分岐点だったと語られるブランドになりたい』っていうのは、すごいキーセンテンスだと思ってて。本当に価値のあることって、やっぱり時間がかかるんですよ、理解されるまでに。ピカソなんかもそうだし、世の中のほとんどがね、そうであるように、だから、例えば親に対してもね、後からこう、10年後、20年後に感謝の気持ちが湧いてくるっていうことにも近いかなと思ってて、その時にはもう親はいない、みたいなことでもあるんでしょうけれど。」
玉木「あるね。」
大森「時間の概念ってゆうのがすごく…僕は玉木新雌さんと向き合ってて、すごく長い時間を感じる。それがまた東京に戻ると、四半期で数字出せみたいな世界になるから、どんどん本質から離れていく。ちょっとした我慢の時間、もともと人間って、我慢する動物だったはずで、稲作をやる前って、狩りをやってたわけだから、もう一日中、朝から晩までずっと獲物をとるタイミングを待ってたわけですよね。」
玉木「うん、うん。」
大森「二万年の縄文時代の生活をしてたわけです。その時のDNAが今もきっとあるはずだから、ちょっとそれを掘り起こしてあげるような時間っていうのは、僕はtamakmi niimeという会社に勤めることで、きっと学べるはずだと思うんですよね。」
玉木「その意識を持ったらね。そこに気づいたら…か? うん、確かにそこはね。気づいている子もいるとは思うんですけどね。」
越川「”体感する”っていうのが、tamaki niimeの習得の仕方かなとは、僕はずっと思ってます。僕はグラフィックデザインの仕事をやってましたけど、グラフィックって思考と感覚と両方要るんですよね。やっぱり広告の世界だし、目的があって創るものなんで、アートの創作みたいには好き放題はできないんです。今はコンピューターで全部やっちゃうわけですけど、そのデザインの感覚を身体に染み込ませるように何回も何回も切ったり貼ったりの手作業を重ねてきたから、僕はtamaki niimeを観て、織機があって、やっぱり職人的な部分も本当にすごく必要だなっていうこと、手を動かす、手で考えることの大切さって、分かるんです。」
玉木「今、このご時世、ありとあらゆるものが買えちゃうからね。いろいろ試す前に、Amazonでポチッとして終わっちゃうから、特にモノづくりの現場にいない人たちは、手を動かしながら思考して、想定してたゴールとは違うけど、めちゃめちゃいいものができたっていうふうにはなかなかなりにくい。そこをさらにこの…そこでしか創れないモノを、tamaki niimeは創り続けなきゃいけないと思うけど、特にAIやなんやらが出てきちゃうからね。だから、それがtamaki niimeの作品づくりだけじゃなく、西脇のまちづくりとか、日本のあり方みたいなところも…皆さん、2026年は午年だから、馬を飼おうとかいう気持ちになってくれたらいいのにって、私は思っているんですよ。」
越川「この間も『niime百科』の取材で伺ったんですけど、毎度玉木さんと話すと、エッ!??みたいな発言があって(笑)。」
玉木「ちなみに馬はもう買ったんです。もうすぐ届くんですけど、北海道からやってくるんです。体重800kgぐらいのばん馬(※)。」
https://hokkaidolikers.com/archives/84530
越川「北海道・帯広競馬場の『ばんえい競馬』で活躍したでっかい馬なんですね。」
玉木「午年に西脇を巡回しようと思って。作品の納品に馬で行きますので、お願いしまーす!ちょうどこの新雌邸とlabもいい感じの距離じゃないですか。今はトゥクトゥクで送迎とかしてるんですけど、それ一台だけじゃ回らへんなと思って、馬がええなぁと思って。「馬車計画」です。そんなんがあったら、やっぱりいいじゃないですか、愉しいしね。」
越川「…はい。」
玉木「私、馬って車が通る道を走っていいんですか??ってスタッフにも訊かれたんだけど、そうじゃないよ!馬の方が先輩なの!わかります? もともと道って馬のためにあったんだから、そんな確認いる?っていう。」
越川「『銀の馬車道』(※)みたいな。」
https://www.gin-basha.jp/about/history/
玉木「舗装道路ってそもそもは馬車道でしょう?しかも結構最近までよ。60年前?…」
越川「僕が子どもの頃、50年ちょっと前、1970年前後くらいまでは荷馬車が県道、今の国道を行き来してました。多可の山里の話ですが。」
玉木「いたよね。最近なのよ、まだ。何百年前とかじゃないよね。大森さんの子どもの時はもう無理?いなかった?」
大森「馬は西脇にはいなかったです。牛はいましたね。」
玉木「いたでしょう!」
参加者O「牛は田んぼによくいました。うちの本家なんか耕運機ができるまで牛を飼って使ってましたからね。昭和30年代くらいまで。」
玉木「でしょう? ほら、牛飼おうよ。ウチにも牛まだおらへんねん。飼いたいねん。」
大森「牛乳はそれこそ、おいしい牛乳を飲めたというのがありますね。」
玉木「ほら…。皆さんちょっと飼ってみようかなって気になってきたでしょう?そんなに遠い昔の話じゃないよね?」
参加者O「50年か60年ほど前。」
玉木「100年は経ってないんです。だから、そう考えたら、今ならまだ復活できる。やってみよう!」
越川「他の参加者の方も何か…Iさんいかがですか。」
大森「皆さんtamaki niimeファンだと思いますので、せっかくなので。」
玉木「どうでした? Iさん。」
参加者I「いやもう、この本は、一言で言うと、新雌さんの”答え合わせ”でした。本当長らく…」
玉木「やった! 長いよね…お世話になってます。」
参加者I「西脇に来られた頃から、ずっと私は”追っかけ”で、お店に行ってますけど、今まで理解しにくい方ではありました(笑)。」
玉木&一同 (笑)
参加者I「でも、さっき越川さんが言われたように、パズルのような、あの、3Dパズルみたいな感じの人で、それがページをめくるたびに組み合わさって、あっ、そうかって、おなかに…落ち切ってはないかもしれないけど、自分なりに理解できて、答え合わせになって。これ、分量としては一息に読める本なのに、すごく丁寧に読まないといけないような感じがして、途中で眠くなるんですよ(笑)。」
玉木「ウソー!」
参加者I「あ、寝落ちしてたわ…と。」
玉木「ほんと?嬉しい!」
参加者I「これを読んでしまうまで感想言わんとこうと思って、一生懸命読むんやけど…」
玉木「寝てまうの?」
参加者I「眠り薬みたいな(笑)。でも、私は田舎の出身なのですごく理解はしやすい。牛もいたし、隣の家にいたヤギからお乳をもらったりとか、羊も毛糸を取るのに飼ってましたし、卵をもらうのにニワトリもいました。外に放し飼いにして、私が集めて小屋に入れる役割みたいなのをやってて。昔は皆、家で子どもを産んでね。私は家で生まれました。」
玉木「そうなの!?」
越川「産婆さんがいて。」
参加者I「そう。で、糞尿を畑にまいて、洗濯物にすごいにおいがついて子どもの時には嫌だったけど、それでお芋が甘くなるんやとか、そういうのを自然にこう…」
玉木「それが日常やったんやろねぇ。」
参加者I「日常やったんやけど、それがすごい価値のあることやったっていうのは、この新雌さんの本で気づいたんです。こんなに長いこと生きてるのにね、私よりだいぶ若い新雌さんという人に教えてもらったって感じで。それで、娘は学者なんで、ちょっと頭が固いとかあるんですけど、新雌さんのファンなんです。この間もワンピースを買ってやって、出かける時はそれを一張羅で着てるんですけど、娘に読ませてあげて、大学で教えてるので、そういうことを学生さんとかに伝えていけるならいいなって思って。」
玉木「いいですね…。」
参加者I「私の子供の時の経験がすごい宝物やったなぁって思えたのは、この本を読ませていただいたから。本当はちょっと田舎出身っていうのが恥ずかしいから、言わんとこうみたいなところやったんですけど、今は自慢です。そういう良かった日本の時代に新雌さんがしてくれるん違うかなって。」
玉木「やっていいんですか!? 馬走らせますよ。」
参加者I「大森さんみたいなかっこいい言葉では言われへんのですけど、自分が体験してきてるから、もう感覚で。新雌さんこの本にも書いてらっしゃいますけど、言葉で理解しているんじゃなくても、感覚で理解してたっていう。私も子供の時はそうやったんですね。ある時から言葉に変換するようになって。そんな時代に戻りたいなって思いました。」
玉木「4歳までがけっこう重要らしいですよ。この間、滝口みどりさんっていう、多可町に移住されて来た女性のお話会をここでやったんですけど、子供の育て方についての勉強会だったの。色々、目からウロコみたいなことをたくさん教えていただいて、今の教育って間違えてるなっていう感じだったんですけど、tamaki niimeがこれからいい作品を創ってゆくために、いいスタッフを入れるために、じゃあどういう人材を取れるかとなったら、一番大事なのは、4歳までに親の干渉なしに自由な時間をどんだけ与えられたかっていうのが大事なんですって。今日一日何もすることない、放置されているっていう状態が、多ければ多いほどいいんですって。」
参加者I「私、わりとそういう感じでした。当時は子どもも多かったから。」
玉木「そう。昔は子供が多かったから、自動的にそうなってたんですって。保育園もないし、もう子どもは子ども同士で時間潰しとって、っていう世界じゃないですか。親は畑もあるし田んぼもある、仕事もあるから。だから、自動的に子供たち同士のコミュニティでその日を過ごすから、一日何してもいいわけじゃないですか。したいことを深掘れる時間は、永遠にあるから、自分の得意なものが何かを知れるんですって。失敗もするけど、更新もできるから。で、私、これはいくらやってもダメだってものにも気付けて、好きなことだけやり続けるっていう時間になるんです。そうやって、だから何かに夢中になれる人を4歳までにつくっちゃえば、あとは何も教えなくて大丈夫なんですって。」
参加者I「今の時代、危険が多いじゃないですか。どうですかね、どうやってそれを…」
玉木「だって、昔の方が危険じゃなかったですか?」
参加者I「…私、山で迷子になったりとか。」
大森「今考えたら、僕も3歳で、昔の西脇の駅前を、結構人通りが多い中で、ひとりで歩いたんですね。3歳ですよ。間違いなく、3歳で百円玉持たされて駅前のマルエーまで買い物に。なぜかというと、おもちゃ屋さんのテンプルが当時はマルエーの横にあったのを覚えているから。ということは、昭和54年なんですよ。」
玉木「だから、今が過保護なだけだと思うねん。もちろん事件もあるし、この世の中、すべてのことにおいて絶対安心なんてことはない。それは昔も今も変わってないのに、公園から遊具なくしましょうというのと同じなんですよ。いやいや、ケガはするもんやろうって。ケガしないように片付けましょうって引いちゃうから、人生楽しくなくなってるというか冒険がなくなっているというか、失敗からしか学べないのに、失敗しないように子育てするんですよ。だから大きくなっても決められない。親が決めてくれないと何していいかわからない、ということになっちゃうんですけど、本当は自分が何がやりたいのか、別に好き嫌いとかじゃなくて、自分に何が向いているのか、興味があることは何なのか?みたいなことを知ってほしいと思って。それと、子供の出生率を上げようというのが、私の今の目標。」
参加者I「小さい孫を預かるのですごい参考になります。」
玉木「めちゃめちゃ構わん方がいいよ。で、興味があることは、それに夢中になってるんだったらもうずっとやらせる。変にもう時間やから、次あれしましょうこれしましょうって、親が決めない。ほっとく。多少の冒険というのをちゃんと本人にやらせてあげて…赤ちゃんって縁側から落ちないんですって。本能で落ちない。ちゃんと自分で手でこうやって測って、後ろを向いて降りる。本来ならそれができるのに、親が構っちゃうから、自分でやるということを学習できないで大人になるから、逆に怪我しやすい子になっちゃう。親が構うから子供は育たない。結局、親は何もするなってことなんです。もうホンマそこに尽きるなと思って。私、子供は5人以上産んでほしいなと思ってるんですよ。」
越川「niime村の出生率は右肩上がりに(笑)。」
玉木「そう。だから、子供産んだらお金をもらえるようにしたらとか、今一生懸命考えてるんですけど。私が市長なら500万払うようにしようと思って。…1人あたり500万ってよくない?」
大森「この本でも教育のことに触れていて、今の子育ては、そのプロセスというところを無視して、結果を求めようとする。受験とかも大きいと思うんですけどね。失敗と成功を繰り返して、その間の成長とか、本当の成果が出てくるのに、そこを親がしようとしないし、教育界も、行政もやろうとしない。結果から逆算して、何かあった時に誰も責任を取られたくないから。tamaki niimeはそうじゃなく、失敗しながら学んでいきましょうということを、やっぱりプロセスのことを書いてあるから、これは教育の本じゃないですか。」
玉木「やった!教育本です!そうだね…いや、本当に当たり前のことだと思うんですけど、ほんとそれが当たり前じゃないのがもったいないなと思って。自分が楽しいことが仕事であった方がいいし、なるべくたくさんの人がそれで幸せになるようなことであった方がいいと思うし、自分が死ぬまで創り続けたとしても、いつか限りはあるので、次の世代がまたワクワクとモノづくりをして。私の望みは、自分が死ぬまで自分のきもちいいと思う服を着続けたいというだけなんで(笑)、私よりも若い人に創ってほしいと思ってるんですけど、そこが親の手料理と一緒でね、やっぱり心を込めてつくったモノだったり作品って、すごくあったかいし、きもちいいので、そういうものづくりが、服だけじゃなくて、街づくりにも、人づくりにも本当に広がって、この輪が広がるといいなと思って、この本を創りましたので、皆さん、ぜひ手に取って読んでみてください。」
書き人越川誠司
昨年末、ついに世に産まれ出た『きもちいい は うつくしい』。玉木新雌はじめての著書をめぐってのお話し会は、新雌邸のお座敷でフラットに玉木を囲んで参加者が意見を交わす、熱いディスカッションの場となった。本に表わされた玉木の語録の数々を通した、tamaki niimeというブランドの本質についての語り合いは、自ずとその唯一無二のモノづくりから西脇と日本社会の今後のありかたを皆それぞれに考えることへと、広がり深まっていった。
〈前編からの続き〉
玉木「さっき、言葉では言い表せないって大森さんが言ってたじゃないですか?結局、何のためにこの本を創ったか?って言われたら、スタッフに読んでほしかったんですよ。モノづくりをするのに、こういう考え方とか、こういう想いで創るんだよ、みたいなところを共有する術がなくて。毎回同じことを言うんですよ、いろんなスタッフに。でも、みんな、あんまりわかってくれてないなと思うんですよね。通じてないなっていうのを感じるから…これ読んだからって、通じないってこと??」
越川「だから、感覚的に読んでもらったら、と。」
玉木「感覚的に読んだら通じるの?」
大森「僕の見解で言うとね、好きだから仕事がやれるっていうのは、もちろん、すごく理想的で。みんなそうなってくれたら、確かに素晴らしいと思うんですよ。」
玉木「うん。」
大森「ただ、僕もね、tamaki niimeのお手伝いした時に、現場の皆さんとお話をして、『好き』っていうことをあんまり前面的に出し過ぎると、逆に戸惑うんじゃないかなと思う時があって。好きとか嫌いとかいう概念じゃなくてね、玉木さんは好きでやっているというよりも、『ガチ』でとか、最近の若者の言葉で言うと、『マジ』とか『ガチ』とかね。だって、最初好きで始めたことでも、作品が売れなかったりとか、苦しい時期もあったわけじゃないですか。少なくとも、その時は好きか嫌いかという概念じゃなかったと思うんです。どちらかというと、嫌いになった時もあるのでは?と。」
玉木「何が?」
大森「やっていること。」
玉木「仕事がってこと?」
大森「それはないですか?」
玉木「ない。」
大森「苦しい時期があったとは確かに書いてあるので、その時は好きとか嫌いとかいう概念は抜きにして、『ガチ』になってたっていう感覚の方が伝わるんじゃないかと。」
玉木「好きとガチは一緒じゃないの?」
大森「違うと思う。」
玉木「私の中では一緒なのよ。…その違いなのか。」
大森「いや、好きとか嫌いとかいう概念を取っ払って、『本気』になってるっていうことの方が、僕は大事なんじゃないかなと思うんですよ。そっちを伝えることの方がいいっていう風に思ったんです。」
玉木「わかった!好きっていうことが大事って言いたいわけじゃないんやけど、愉しんでやってるっていうのが、『ガチ』って言った方がいいですよ、ってこと?」
大森「うん。僕も最近特にね、管理職になって、若い人が入社してくるから。」
玉木「どうヤル気を出させるか?本気でやれよって言った方がいいってこと?」
大森「本気でやれよっていうのもおかしいから、本気になるように、環境を…」
玉木「本気になるようにって、どうやってするの?」
大森「これはね、我々はやっぱり東京にいるから結構都合よくて、競争社会なんですよ。競争のいいところって、少なくとも『ガチ』になるっていうのは間違いないです。好き嫌いは一旦置いておいて。」
玉木「やるしかなくなるってこと?」
大森「いやいや、負けるのって嫌じゃないですかという話。」
玉木「それって、でも、負けてもいい人もいるで。」
大森「いますいます。いますけどね。せっかく競争社会にいるから…」
玉木「それは東京だからね。」
大森「うん、かもしれない。」
玉木「田舎はムズイよね。逆にね、競争社会にはいない人多いよね。」
大森「ひとつ、『マジ』になる。マジになり方として、今もシステムとして資本主義社会だから。」
玉木「東京に出て行っている時点で、その人ってすでにもう『ガチ』の人じゃないですか。やっぱり都会に行って就職して、いろんな闘いで。やっぱりこう、中途半端では帰れないみたいなのってあるよね。そういう想いが田舎にはないとは言わんけど、その温度差は感じる。でも、東京のあの感じがいいとも思わない。闘って、最後、疲弊して、“廃人”みたいになっていく感じ。だから、『ガチ』がずっと継続し続けてても疲れ果てないというか、それがまた愉しみに変えられるような『ガチ』さ、つうの?」
大森「だから平たく言えば、好きってことなんじゃないの?って言い方もできると思うんですけど、それって趣味の範囲で。やっぱりビジネスなんだから。」
玉木「いや、ビジネス大事よ。」
大森「好きはいいと思うんです。でも好きというところで終わってしまうと、ビジネスにならない。」
玉木「それはならない!あ、だから、執着しないという意味ね。ビジネスだからお金に対して執着しないのはアカンけど、売り上げ取りなさいとか突然言うと、あんまりそういうことを考えたことのない人は、すごくヤル気を無くしたりする。」
大森「ああ~…。(頷く)」
玉木「数字数字って言われたら、もうできませんみたいなモードに入っちゃうから、いや、愉しもうか?まずは愉しむことからやってみようか?とか言ってるんだけど…でも、それが答えなわけでもないでしょ?」
大森「うん。」
玉木「どうしたらいい?」
越川「玉木さん、スタッフに背中を見せるっていうのは、去年の年末から言ってましたよね。それは私についてこいというような率先垂範というか、徒弟制度っていうんじゃないけどいい意味で引き継いでいくってなった時に、tamaki niimeを見ていて感じるのは、この『きもちいい は うつくしい』の本の中にも書いてあるんですけど、頭で考えるよりは手足を動かすっていう。それってすごく…」
玉木「究極は違うで。頭も使わんと。」
越川「それはそうです。そこは…」
玉木「だから、得てしてどっちかになっちゃうんじゃない?スタッフによっては、もっと頭使ってって怒ったり、グチグチ考えてばっかりでって言ったりするけど、でも、スタッフ全員一斉にという時に何ていうか?って考えたら…何も言えなくなるんですよ。」
大森「でも、この本に書いてあることは、先に手を動かしてみようっていうのはいいと思うんですよ。要は、体から始まる人もいれば、頭からの人もいるけど、その、よくわからない感じがワクワクになってくる、心になっていくみたいな。やっぱり手を動かす、行動すると。」
玉木「だから、それが好きかどうかは、後でいいかなと、私も最近思ってます。まずはやってみる。最近始めたのは、動物さんの餌やり。そのために朝7時に来るっていうのを、今まで石倉一人がずっとやってくれてたんだけど、いつまでもこのままじゃあかんなと思って強制的に当番制にしたんですよ。小学校みたいに。ウサギのエサやりとかあったじゃないですか。そういうふうにみんなに一回関わらせようと思って、順番にやってみたら、やっぱりこっちの方がいいなと思うから。やり方がわからないとか、文句というか苦情は来るけど、でも、やってみないことには。1、2年待ってみたけど、みんなが動物さんと距離が近くなってほしいと思ってもならないし、動物のことをよく知ってる人と、全然知らない人に分かれちゃってたから、やっぱりまずは一回、好き嫌いじゃなくて、仕組みにしてみる。その上で、もっといい方法が出てきたら、変えてみたらいいんじゃないと思います。…でも、西脇市をどうしていくかとか、日本をどうしていくかとかって、何か“書面”で始まるじゃないですか。こういうプランでいきましょう、先ずそれをみんなで共有しましょう、ってなるけど、私には全然しっくりこない。」
越川「とりあえず、始めてみようということには…」
玉木「ならない。ゴールがないと始められないことになる。とりあえず頭の中で完成させるでしょう?これからの日本、それでいけるのかな?と思って。」
越川「『niime百科』の毎年の年越し企画の『ゆく年くる年』を今、インタビュー終わって文章化しているところなんですけど、今、まさに玉木さんがおっしゃっていた、動物たちの世話をみんなでやるっていうのを取材で聞いて、その時に僕の頭に浮かんだのは、あ、『niime村』が稼働し始めてるなっていうふうにも思えたんですよ。どういうことかというと、村の住民の役割として、動物の世話っていうのが義務付けられるっていうかね、村の中での位置づけがあって、ちょっと動物が苦手って人もいるかもしれないですけど、シフトを組んでみる。そういう役割をシェアするっていうのが、コミュニティとしての『niime村』をとらえた時に、組織の新しいあり方として、すごいムラ化して来てるなというか、そのひとつの現れなのかなと。面白いなと思いました。」
大森「すみません、僕ばかりしゃべっちゃって。この本で書かれていること、とにかく言語化はできなくても、玉木さんのやってきたことっていうのは、僕はすごくね、あまりにも合理的だと思っていて。それは正しいという意味で。例えば世界的に今、環境を良くしましょうとか言って、欧米を中心に、SDGsとかを掲げているわけですけれども、彼らは経済と環境の両立という言い方をするわけですよ。」
玉木「難しいこと言うね(笑)。」
大森「はい、『SDGs』とは、『持続可能な開発目標』っていう訳し方をするわけですけど、その“両立”っていう考え方がそもそも…」
玉木「無理がある。」
大森「おかしいよねっていうことを、ちゃんと言ってくれてるんです。つまり、人間も植物も動物も全部生き物なんだって。それをいうと、地球も生き物でしょう?全部生き物ですよね。つまり包含されているわけですね。我々はすべて地球の一部であると、だからそれでつながっている、循環なんですっていうことを言ってるわけなんですよね。」
玉木「言ってる。」
大森「だから、欧米的なSDGsに対して、少なくともこれは日本的な考え方だと思うし、本当の本質的な循環ですね、ということも言ってくれてるし。普段の生活や仕事の中で動物を飼っているっていうというのも、やっぱり境目をなくしてるわけですよね、人間と自然との。もっと言うと、犬をこれだけ飼っているというのは、ものすごく合理的で。犬って、縄文時代の昔から、自然と人間との橋渡しで、なぜか人は犬とだけ生活を共にしてきたわけですよね。あの『もののけ姫』の中でも、モロの君という犬神が自然界から人間に対して警告を発しに出てくるわけですけども、tamaki niimeで飼っている犬も秋田犬とオオカミのハーフなわけでしょう?そこから始めるか!って(笑)。めっちゃ合理的なんです。ハタから見たら、この人、何やり出すの??って思うんですけど、いやいや、自然と人間との橋渡しじゃないかと。」
玉木「そう。」
大森「全部つながってるから、それが社員みんなに理解されてくると、すげえな、この会社!っていうことになってくることは間違いないし、僕はやっぱり東京で、もう図体のデカい会社ばかり相手にしてて、社長とかと話しててもそういう話は一切出てこないから。オモロない。」
玉木「言った方がいいよ。」
大森「言ってもわからないから(苦笑)。実はこれから日本を支えていく、本当の意味で持続可能にしていく人がここにいるんだっていうことを、少なくともこの周辺の方々には分かっていてほしいというのが、僕はあるんですよね。ここ、『日本のへそ』西脇にいたんだっていう。…ホメ過ぎですか?」
玉木「一番合理的だと思ってるよ、私はね。でも確かに理解されてないよね。それはあるな(苦笑)。」
越川「だから、本当に玉木さんの進み方ってパズル的だなって、僕は思ってて。設計図ありきじゃないんで。ちょっと何やってんだか分かんないみたいな。ひょっとしたら本人さえわかってないんじゃないかなと思える節があるけど(笑)…」
玉木「わかってるけどさ。」
越川「そう、でもそこは直感に従って自分を信じてやってるし、スタッフを信じてされてるっていう。それで全体像が見えた時に、あ、組み上がった、みたいな。tamaki niimeの歩みって、その積み重ねかなっていうのをすごく感じています。だから、もっと大きいパズルを玉木さん、いくつも抱えているというのがあって。」
玉木「常にね。それはあるね。」
越川「それが同時進行で動いて行ってるんじゃないかなと。そのワクワク感をハタから見ていても感じますし、一緒にやるような人たちが、本当、もっとここに…」
玉木「増えたらね。」
越川「うん、集まって来たら本当に面白いと思うし。2016年に今のshop&labに引っ越してきた時のオープニングパーティーで、いきなり第一声で玉木さん、「ここ『日本のへそ』から!」って(笑)。」
玉木「言ってた? だって『日本のへそ』だもん。」
越川「当時だと、『日本のへそ』って、全然ファッショナブルでもなんでもないよな、みたいな捉え方が一般的だったところで、もう正面切って、『日本のへそ』だからここに来た!みたいなことを言ってたんで、そもそももう、全然飛び越えてるわと、さすがだなと思いました、はい。」
玉木「…だいぶ紐解けてきた。」
大森「この本の中でも、『後々の未来に、あそこが分岐点だったと語られるブランドになりたい』っていうのは、すごいキーセンテンスだと思ってて。本当に価値のあることって、やっぱり時間がかかるんですよ、理解されるまでに。ピカソなんかもそうだし、世の中のほとんどがね、そうであるように、だから、例えば親に対してもね、後からこう、10年後、20年後に感謝の気持ちが湧いてくるっていうことにも近いかなと思ってて、その時にはもう親はいない、みたいなことでもあるんでしょうけれど。」
玉木「あるね。」
大森「時間の概念ってゆうのがすごく…僕は玉木新雌さんと向き合ってて、すごく長い時間を感じる。それがまた東京に戻ると、四半期で数字出せみたいな世界になるから、どんどん本質から離れていく。ちょっとした我慢の時間、もともと人間って、我慢する動物だったはずで、稲作をやる前って、狩りをやってたわけだから、もう一日中、朝から晩までずっと獲物をとるタイミングを待ってたわけですよね。」
玉木「うん、うん。」
大森「二万年の縄文時代の生活をしてたわけです。その時のDNAが今もきっとあるはずだから、ちょっとそれを掘り起こしてあげるような時間っていうのは、僕はtamakmi niimeという会社に勤めることで、きっと学べるはずだと思うんですよね。」
玉木「その意識を持ったらね。そこに気づいたら…か? うん、確かにそこはね。気づいている子もいるとは思うんですけどね。」
越川「”体感する”っていうのが、tamaki niimeの習得の仕方かなとは、僕はずっと思ってます。僕はグラフィックデザインの仕事をやってましたけど、グラフィックって思考と感覚と両方要るんですよね。やっぱり広告の世界だし、目的があって創るものなんで、アートの創作みたいには好き放題はできないんです。今はコンピューターで全部やっちゃうわけですけど、そのデザインの感覚を身体に染み込ませるように何回も何回も切ったり貼ったりの手作業を重ねてきたから、僕はtamaki niimeを観て、織機があって、やっぱり職人的な部分も本当にすごく必要だなっていうこと、手を動かす、手で考えることの大切さって、分かるんです。」
玉木「今、このご時世、ありとあらゆるものが買えちゃうからね。いろいろ試す前に、Amazonでポチッとして終わっちゃうから、特にモノづくりの現場にいない人たちは、手を動かしながら思考して、想定してたゴールとは違うけど、めちゃめちゃいいものができたっていうふうにはなかなかなりにくい。そこをさらにこの…そこでしか創れないモノを、tamaki niimeは創り続けなきゃいけないと思うけど、特にAIやなんやらが出てきちゃうからね。だから、それがtamaki niimeの作品づくりだけじゃなく、西脇のまちづくりとか、日本のあり方みたいなところも…皆さん、2026年は午年だから、馬を飼おうとかいう気持ちになってくれたらいいのにって、私は思っているんですよ。」
越川「この間も『niime百科』の取材で伺ったんですけど、毎度玉木さんと話すと、エッ!??みたいな発言があって(笑)。」
玉木「ちなみに馬はもう買ったんです。もうすぐ届くんですけど、北海道からやってくるんです。体重800kgぐらいのばん馬(※)。」
https://hokkaidolikers.com/archives/84530
越川「北海道・帯広競馬場の『ばんえい競馬』で活躍したでっかい馬なんですね。」
玉木「午年に西脇を巡回しようと思って。作品の納品に馬で行きますので、お願いしまーす!ちょうどこの新雌邸とlabもいい感じの距離じゃないですか。今はトゥクトゥクで送迎とかしてるんですけど、それ一台だけじゃ回らへんなと思って、馬がええなぁと思って。「馬車計画」です。そんなんがあったら、やっぱりいいじゃないですか、愉しいしね。」
越川「…はい。」
玉木「私、馬って車が通る道を走っていいんですか??ってスタッフにも訊かれたんだけど、そうじゃないよ!馬の方が先輩なの!わかります? もともと道って馬のためにあったんだから、そんな確認いる?っていう。」
越川「『銀の馬車道』(※)みたいな。」
https://www.gin-basha.jp/about/history/
玉木「舗装道路ってそもそもは馬車道でしょう?しかも結構最近までよ。60年前?…」
越川「僕が子どもの頃、50年ちょっと前、1970年前後くらいまでは荷馬車が県道、今の国道を行き来してました。多可の山里の話ですが。」
玉木「いたよね。最近なのよ、まだ。何百年前とかじゃないよね。大森さんの子どもの時はもう無理?いなかった?」
大森「馬は西脇にはいなかったです。牛はいましたね。」
玉木「いたでしょう!」
参加者O「牛は田んぼによくいました。うちの本家なんか耕運機ができるまで牛を飼って使ってましたからね。昭和30年代くらいまで。」
玉木「でしょう? ほら、牛飼おうよ。ウチにも牛まだおらへんねん。飼いたいねん。」
大森「牛乳はそれこそ、おいしい牛乳を飲めたというのがありますね。」
玉木「ほら…。皆さんちょっと飼ってみようかなって気になってきたでしょう?そんなに遠い昔の話じゃないよね?」
参加者O「50年か60年ほど前。」
玉木「100年は経ってないんです。だから、そう考えたら、今ならまだ復活できる。やってみよう!」
越川「他の参加者の方も何か…Iさんいかがですか。」
大森「皆さんtamaki niimeファンだと思いますので、せっかくなので。」
玉木「どうでした? Iさん。」
参加者I「いやもう、この本は、一言で言うと、新雌さんの”答え合わせ”でした。本当長らく…」
玉木「やった! 長いよね…お世話になってます。」
参加者I「西脇に来られた頃から、ずっと私は”追っかけ”で、お店に行ってますけど、今まで理解しにくい方ではありました(笑)。」
玉木&一同 (笑)
参加者I「でも、さっき越川さんが言われたように、パズルのような、あの、3Dパズルみたいな感じの人で、それがページをめくるたびに組み合わさって、あっ、そうかって、おなかに…落ち切ってはないかもしれないけど、自分なりに理解できて、答え合わせになって。これ、分量としては一息に読める本なのに、すごく丁寧に読まないといけないような感じがして、途中で眠くなるんですよ(笑)。」
玉木「ウソー!」
参加者I「あ、寝落ちしてたわ…と。」
玉木「ほんと?嬉しい!」
参加者I「これを読んでしまうまで感想言わんとこうと思って、一生懸命読むんやけど…」
玉木「寝てまうの?」
参加者I「眠り薬みたいな(笑)。でも、私は田舎の出身なのですごく理解はしやすい。牛もいたし、隣の家にいたヤギからお乳をもらったりとか、羊も毛糸を取るのに飼ってましたし、卵をもらうのにニワトリもいました。外に放し飼いにして、私が集めて小屋に入れる役割みたいなのをやってて。昔は皆、家で子どもを産んでね。私は家で生まれました。」
玉木「そうなの!?」
越川「産婆さんがいて。」
参加者I「そう。で、糞尿を畑にまいて、洗濯物にすごいにおいがついて子どもの時には嫌だったけど、それでお芋が甘くなるんやとか、そういうのを自然にこう…」
玉木「それが日常やったんやろねぇ。」
参加者I「日常やったんやけど、それがすごい価値のあることやったっていうのは、この新雌さんの本で気づいたんです。こんなに長いこと生きてるのにね、私よりだいぶ若い新雌さんという人に教えてもらったって感じで。それで、娘は学者なんで、ちょっと頭が固いとかあるんですけど、新雌さんのファンなんです。この間もワンピースを買ってやって、出かける時はそれを一張羅で着てるんですけど、娘に読ませてあげて、大学で教えてるので、そういうことを学生さんとかに伝えていけるならいいなって思って。」
玉木「いいですね…。」
参加者I「私の子供の時の経験がすごい宝物やったなぁって思えたのは、この本を読ませていただいたから。本当はちょっと田舎出身っていうのが恥ずかしいから、言わんとこうみたいなところやったんですけど、今は自慢です。そういう良かった日本の時代に新雌さんがしてくれるん違うかなって。」
玉木「やっていいんですか!? 馬走らせますよ。」
参加者I「大森さんみたいなかっこいい言葉では言われへんのですけど、自分が体験してきてるから、もう感覚で。新雌さんこの本にも書いてらっしゃいますけど、言葉で理解しているんじゃなくても、感覚で理解してたっていう。私も子供の時はそうやったんですね。ある時から言葉に変換するようになって。そんな時代に戻りたいなって思いました。」
玉木「4歳までがけっこう重要らしいですよ。この間、滝口みどりさんっていう、多可町に移住されて来た女性のお話会をここでやったんですけど、子供の育て方についての勉強会だったの。色々、目からウロコみたいなことをたくさん教えていただいて、今の教育って間違えてるなっていう感じだったんですけど、tamaki niimeがこれからいい作品を創ってゆくために、いいスタッフを入れるために、じゃあどういう人材を取れるかとなったら、一番大事なのは、4歳までに親の干渉なしに自由な時間をどんだけ与えられたかっていうのが大事なんですって。今日一日何もすることない、放置されているっていう状態が、多ければ多いほどいいんですって。」
参加者I「私、わりとそういう感じでした。当時は子どもも多かったから。」
玉木「そう。昔は子供が多かったから、自動的にそうなってたんですって。保育園もないし、もう子どもは子ども同士で時間潰しとって、っていう世界じゃないですか。親は畑もあるし田んぼもある、仕事もあるから。だから、自動的に子供たち同士のコミュニティでその日を過ごすから、一日何してもいいわけじゃないですか。したいことを深掘れる時間は、永遠にあるから、自分の得意なものが何かを知れるんですって。失敗もするけど、更新もできるから。で、私、これはいくらやってもダメだってものにも気付けて、好きなことだけやり続けるっていう時間になるんです。そうやって、だから何かに夢中になれる人を4歳までにつくっちゃえば、あとは何も教えなくて大丈夫なんですって。」
参加者I「今の時代、危険が多いじゃないですか。どうですかね、どうやってそれを…」
玉木「だって、昔の方が危険じゃなかったですか?」
参加者I「…私、山で迷子になったりとか。」
大森「今考えたら、僕も3歳で、昔の西脇の駅前を、結構人通りが多い中で、ひとりで歩いたんですね。3歳ですよ。間違いなく、3歳で百円玉持たされて駅前のマルエーまで買い物に。なぜかというと、おもちゃ屋さんのテンプルが当時はマルエーの横にあったのを覚えているから。ということは、昭和54年なんですよ。」
玉木「だから、今が過保護なだけだと思うねん。もちろん事件もあるし、この世の中、すべてのことにおいて絶対安心なんてことはない。それは昔も今も変わってないのに、公園から遊具なくしましょうというのと同じなんですよ。いやいや、ケガはするもんやろうって。ケガしないように片付けましょうって引いちゃうから、人生楽しくなくなってるというか冒険がなくなっているというか、失敗からしか学べないのに、失敗しないように子育てするんですよ。だから大きくなっても決められない。親が決めてくれないと何していいかわからない、ということになっちゃうんですけど、本当は自分が何がやりたいのか、別に好き嫌いとかじゃなくて、自分に何が向いているのか、興味があることは何なのか?みたいなことを知ってほしいと思って。それと、子供の出生率を上げようというのが、私の今の目標。」
参加者I「小さい孫を預かるのですごい参考になります。」
玉木「めちゃめちゃ構わん方がいいよ。で、興味があることは、それに夢中になってるんだったらもうずっとやらせる。変にもう時間やから、次あれしましょうこれしましょうって、親が決めない。ほっとく。多少の冒険というのをちゃんと本人にやらせてあげて…赤ちゃんって縁側から落ちないんですって。本能で落ちない。ちゃんと自分で手でこうやって測って、後ろを向いて降りる。本来ならそれができるのに、親が構っちゃうから、自分でやるということを学習できないで大人になるから、逆に怪我しやすい子になっちゃう。親が構うから子供は育たない。結局、親は何もするなってことなんです。もうホンマそこに尽きるなと思って。私、子供は5人以上産んでほしいなと思ってるんですよ。」
越川「niime村の出生率は右肩上がりに(笑)。」
玉木「そう。だから、子供産んだらお金をもらえるようにしたらとか、今一生懸命考えてるんですけど。私が市長なら500万払うようにしようと思って。…1人あたり500万ってよくない?」
大森「この本でも教育のことに触れていて、今の子育ては、そのプロセスというところを無視して、結果を求めようとする。受験とかも大きいと思うんですけどね。失敗と成功を繰り返して、その間の成長とか、本当の成果が出てくるのに、そこを親がしようとしないし、教育界も、行政もやろうとしない。結果から逆算して、何かあった時に誰も責任を取られたくないから。tamaki niimeはそうじゃなく、失敗しながら学んでいきましょうということを、やっぱりプロセスのことを書いてあるから、これは教育の本じゃないですか。」
玉木「やった!教育本です!そうだね…いや、本当に当たり前のことだと思うんですけど、ほんとそれが当たり前じゃないのがもったいないなと思って。自分が楽しいことが仕事であった方がいいし、なるべくたくさんの人がそれで幸せになるようなことであった方がいいと思うし、自分が死ぬまで創り続けたとしても、いつか限りはあるので、次の世代がまたワクワクとモノづくりをして。私の望みは、自分が死ぬまで自分のきもちいいと思う服を着続けたいというだけなんで(笑)、私よりも若い人に創ってほしいと思ってるんですけど、そこが親の手料理と一緒でね、やっぱり心を込めてつくったモノだったり作品って、すごくあったかいし、きもちいいので、そういうものづくりが、服だけじゃなくて、街づくりにも、人づくりにも本当に広がって、この輪が広がるといいなと思って、この本を創りましたので、皆さん、ぜひ手に取って読んでみてください。」
Original Japanese text by Seiji Koshikawa.
English translation by Adam & Michiko Whipple.

