JP/EN

Encyclopedia of niime

niimeゆく年くる年2025-2026 〈ゆく年編〉

2025 . 12 . 31

ーtamaki niimeの2025年。万博に向けてのAyumi Adachiさんとのハギレ生地を活かした『ORIAI』作品創作と展示、横尾忠則さんの大型画集の表紙用に一点モノ生地を提供、『niime村』の公民館・新雌邸のOPEN、tamaki niime machidaの再開…などなど、挙げきれないほど今年も色々と盛りだくさんでしたが、まずは、まだ詳細をお聞きしていないインド行きのお話から行きたいんですけど。

玉木「インド話してなかったっけ?」 ー一度ガッツリお聞きしたかったんです。向こうの伝統的な「染め」の産地を視察しに行かれたんでしたか?

玉木「インドに行くことにした理由は…日本のモノづくりがこのままやと縮小になってゆく、それは播州織も然りで。できる限り自分たちでやろうと思ってるし、織りであれ縫製であれ、お付き合いのある事業者さんたちが、なるべく仕事を絶やさずに継続していける仕組みをとやり続けてるんですけど、私たちがそう言ったとて、周りが減っていっちゃうと大変になるという現実がある。」 ーええ。

玉木「そことの向き合い方として…『純粋な国産』のモノづくりをやってみて、えらくコストがかかるなぁという壁と、国内でもう途絶えてしまった手仕事は望んでも手に入らないという実情があるから。手紡ぎの糸で手織りすることとかも含めてね、それを産業としてできるか?といったらできない、作家さんにはお願いできるけれど、それ以外にルートがないというのが日本のモノづくりの現状であると。」 ーはい。

玉木「手織りが絶対良いかというと、私は機械織りと比べて一長一短あると思うんだけど、もしも停電状態が続くようなことになって機械が使えなくなった時にモノづくりができなくなるのは嫌だから、新雌邸で手織り機とか手編み機とか手紡ぎ機みたいな道具を集めておいて、そんな非常時の時のために使えるようにしておこうという話は前からしてたと思うんです。それでインドはというと…昔ながらのやり方でまだちゃんと産業として成り立っている。」 ーなんと。。

玉木「動力を使わない、すべて手仕事で、薪を焚べて佂で草木染めをやってるような人たちが普通にいる! で、仕事が普通にあって回っている、という様子を目の当たりにして、羨ましか~…と思って。」 ー手仕事が産業として成り立っているわけですね。

玉木「クオリティやセンスがどうなのか?という問題はひとまず置いとかなきゃ、なんだけど。そこはこの目で観て確かめて、改善できるのかも含めて…昔、播州織産地に初めてやってきた時みたいな感じで、技術力の高い産地がインドには今もあるから、あちこち視察してみよう、と。観光のように訪問したとて、内部の実情は見せてもらえないだろうからとこれまでは行かなかったんだけど、今回はインドで10年くらいお仕事をさ れている女性との繋がりをいただけたから。現地の実際の仕事の仕方、現場の様子を観させてもらった上で、何ができて何ができないのか、いくらでできるのかといった話が詰められるんだったら、今後の可能性も含めて観てみたいとお願いしたんです。」 ー良きご縁があったわけですね。

玉木「結果、日本の産地に近いところは確かにあると思って。昔ながらの伝統的なやり方で、天然繊維で染めて、アメリカや日本とか外国からの受注で輸出している。手作業か機械かの違いはあるけど、OEM文化というか、技術はあるけど、デザインはオーダーする側が考えて依頼するという体制だから。播州織の初期だったり、昔の日本も似たような感じだったのかなと。じゃあ、遅かれ早かれ日本と同じような未来がやってくるわ けじゃないですか?」 ーそうですね…。

玉木「単にそこのやり方に「やったぁ!」と私たちが乗っかるだけでは、未来がより良くなるわけじゃないから、何かを変えたいなと思って。最終的な構想としては、インドの人たちと一点モノの作品づくりができる仕組みを構築できたら良いな、という想いではいる。」 ーtamaki niimeのモノづくりのあり方が、インドにまで広がりますね。

玉木「ただこの距離がどうしてもね。そこをどうするかの課題はあって。最初からいきなりは無理だから、どんな方法でやって行こうか…と思案してますね。まずはこっちでtamaki niimeが創っているようなモノが向こうでできるかどうかの開発を進めて、できるのであれば、それが「一点モノ」になるような工夫を現地の人とやれるかどうか。」 ー染めの現場の写真を見せてもらったんですが、視察はどんなところへ…

玉木「染めも行ったし、織りも行ったし、刺繍も行ったし、コットンの収穫、手紡ぎの糸…だから、それぞれ異なる地域だけど、ありとあらゆる手仕事全部がインドの中にある。コットンも、日本でいう和綿みたいな良いコットンが手に入りそうなんで、それをウチで買い付けて、ウチの紡績工程に回すということはできそうなんです。」 ー手仕事の宝庫みたいな…

玉木「つくっているのが誰かわかっている人たちから綿を買えるというのは無茶苦茶良いなと。何十キロほしいって注文したらつくってくれるらしくて。それを今前向きに進めていつつ、それ以外の創作という部分でも…インドの伝統的な技術を使わせていただきながら、播州織に出会って西角さんと最初にやったみたいに、tamaki niimeらしい作品に落とし込んでゆく作業を、どんだけやれるか。」 ー作品づくりのフィールドが播州織からインドに替わると。

玉木「そう。そんな感じ。技術が理解できれば、私ならこんな風に使いたい、というのが出てくるから。私も現地入りしないと無理だろうなと思うので、この距離がある中でどこまでクリアできるか、何回か足を運んだ上で、一緒に創っていけたら面白いな…」 ーインドでの生産工程というのは、国内完結しているわけですか?

玉木「インドは国内完結してる。村の中で完結しているモノもあれば、染めとか織りとかの各工程を産地間移動させているモノもある。ここの伝統衣装に別の場所の刺繍技術をコラボさせるとかも。」 ーそれはデザイナーを介してという?

玉木「いや、社長さん同士でコラボしようよ、とか話をして、こんなのできましたとデザイナーに提案する。イメージは日本の昔の町工場の社長さんて感じ。で、納期は長く現地滞在してる方が優先になる(笑)。」 ー(笑)

玉木「結局、気持ちで人は動くじゃない?そんなにあんたが待ってくれてるんなら、もっと早くやってあげるわ、となる。だから昔の昭和の町工場っぽい感じだというか。ただ社長さん以外の現場の人たちっていうのは英語が喋れない人が多いし刺繍をお願いする人たちは家から外に出ない人たちが多いから、直接やり取りをするわけじゃなくて伝言ゲームになるから、ちゃんとリレーができないとあれ?ってなる場合も起こりそう。そ こが懸念材料かな。」 ーなるほど…現地事情が色々とあるわけですね。

玉木「日本の昔ながらの着物の「総絞り」とかの染色技法は全然残ってるから、tamaki niime総絞りウェアとかも、できなくはない。」 ーふぅう~ん。。

玉木「だから、無茶苦茶良い手仕事の技術すべてがしっかりと残っている。絞る人も360 人くらいいるんだって。」 ーだったら急に衰退するとかはないわけですね。

玉木「ない。だから、仕事はなんぼでも受けられます、ってゆうくらい。技術に比べてもったいないなとこちらが思うくらいに工賃は安いんだけど、それで暮らしてはいける。ほんと昭和の頃の町工場に似てる。日本もそれで成り立っていたというか、食べていけてたわけじゃない。現地では小学校とか午前中で終わるから、午後からは子どもたちは親の手伝いをするの。仕事と技術を継いでゆくために。」 ー都市部との経済的な落差は激しいでしょうね。

玉木「すごい差が激しい。私たちが伺ったのは地方というかすごく田舎にあるところ。羊さんがいたり牛さんが道を歩いてたり…一個一個手仕事が多くて、純粋な国産だらけですよ。」 ーインドのヒンドゥー教で神聖な動物は、牛でしたっけ?

玉木「うん。私にとっての理想的な場所があって。手織りと染めをやってる敷地内に牛がいて、お母さんが牛の乳を絞ってすぐに私たちに提供してくれたの。これやん!やりたいのは!!それそれ、って思ったんで、やっぱり牛ほしいなと思いました(笑)。私が求めるリアリティがそこにはあったんです。」 訪れたインドの現地の写真や動画を玉木に見せてもらう。手織り機を操る女性。建物や生活道具などもまた手づくりによる、素朴で確かな日々の暮らしがそこには映っていた。

玉木「そもそもなんでインドに行きたかったかというとガンディー※さんじゃないですか。インドの人たちがインド人たるために、インドのモノを身に付けようという社会活動でしょ?」 ※ガンディー(マハトマ・ガンディー)は、「インド独立の父」として知られる、インドの宗教家・政治指導者(1869-1948)。非暴力・不服従の抵抗運動(サティヤーグラハ)を提唱・実践し、イギリスからのインド独立を主導し、その思想は世界中の公民権運動に影響を与えた。

カディ(手紡ぎ手織り布)と自給自足:「糸車(チャルカ)」で糸を紡ぎ、手で布を織る「カディ」は、イギリス製品の不買運動(スワデーシ運動)の象徴。これはイギリス製品への依存から脱却し、インド国内の農村経済を支え、経済的自立と誇りを取り戻すための運動で、ガンディー自身もこれを実践し、簡素な生活を送った。

伝統衣装の着用:ガンディーはスーツを捨て、インドの伝統的な腰布(ドーティなど)を身につけることで、貧しい民衆との一体感を示し、インドの自立と誇りを象徴した。
(Google検索・AIによる概要から)

玉木「今もその文化がちゃんと続いていて遺ってるから。私も遺していきたいなと思いつつ、世界的に見るとインド製のモノはそこまで価値が高くなってないという現実もあってモヤモヤしたりもする。」 ー世界中で経済活動がグローバルに進展する一方で、インドの伝統的で素朴で地に足のついた「衣」の文化と暮らしに出会えたことで、今後のtamaki niimeにとってのヒントが沢山見つかったのではないかという感想を持ちました。

玉木「そうだね。」 ーどうコラボしてゆくかも含めてすごいチャレンジだろうし、面白い展開になる可能性を感じます。

玉木「どうやっていくかは考え中…一番のネックは距離です。行ってみたら意外と寝てたら着いたやんみたいな距離感ではあったけど(笑)。まずは視察メインで行ったけど、実はもう発注もして動き出してるんです。一番は、インドならではのオーガニックコットンに辿りつけたというのがすごい収穫で。そのコットンをウチの紡績機で糸にできるかが次のチャレンジで、今やろうとしてるんですけど、それが可能になれば年間に必要 な量のコットンをインド産にしようかなと思ってます。」 ー紡績できるかどうかというのは…

玉木「繊維の長さによって、どんな糸になるのか?ってところがあって。今まで使ってた糸とは変わるので。また現地に行って今度はコットン畑をこの目で観たい。インドへ行ってよかったですね。やはり観ないことには何も始まらない。」 オーガニックコットンの使用やつくり手の顔が見える各生産工程…tamaki niimeならではのモノづくりとそのメッセージをわかりやすく伝える意味でもインドの人たちとのコラボレーションは意義が大きいのではないだろうか。

玉木「もちろん日本でのモノづくりを諦めるつもりはないけど、もう、地球って規模でモノづくりをちゃんとやってゆく、今ある技術を後世に遺してゆくのはすごく大事なことだと思う。特に日本ではなくなりつつあるからこそ。」 ーインドに生産のフィールドを持つことで、tamaki niimeの地球を想うモノづくりがより露わになるところがあるのかなと。

玉木「今回、染め担当の岡本さくらを連れて行ったことで、彼女にとっても自分のクリエーションの上ですごく良い刺激だったみたいで。去年は鎌倉のtamaki niime okurimonがオープンしてそこで感じたインスピレーションで創作をしたんですけど、今年はインドを題材にして創作を深めます、ということだったので、やっぱり、創り手側の視野を広げるという意味でも、交流も含めてやれたらいいなと思ってますね。」 ーそこが大事ですよね。お互いに刺激があって良い影響を与え合う…

玉木「インドの人たちも来年こっちに来てくれるんですよ。labも観てもらいたいし、スタッフ同士の交流で刺激をもらって帰ってもらえたら嬉しいし。吸収力のある社長さんたちを集めて、さらに面白いモノづくりができたら。こっちに来ていただいた方が化学反応が起こりそうだなと思って。」 ーniimeの家に泊まっていただいて。niime村の中のインド村みたいな。

玉木「来てもらうタイミングで「インド展」もできたらなと話てて。また新しい1ページが開く。」 ー素晴らしいですね。…インドの話だけでも盛りだくさんなんですが、今年はAppleの動画撮影もありましたよね。

玉木「いい映像でしたよね。きれいだった…。やっぱり、世界のAppleさんのクリエイティブに触れられたのが無茶苦茶、私自身も学びになったし、スタッフにとっても良かったんじゃないかと思いましたね。どういう映像を創るか? 何を伝えるか? Apple製品自体のCMではなく、Appleがあることでtamaki niimeが輝いているみたいな、Appleを日常的に使っているtamaki niimeをいかに美しく、素敵に伝えるかが撮影チームのミッションで…もちろんAppleさん側がストーリーから何から全部考えてくれたんですよ。」 ーそうなんですか。

玉木「映画の収録並みで、トップレベルのCMってこうやって撮るんだな、みたいな。以前のAmazonさんの動画の撮影の時もすごく時間をかけて丁寧に私たちのモノづくりを伝えてくださって、学びもあってよかったんですけど、今回はまたAppleさんが。私もApple大好きだし、スティーブ・ジョブズの考え方も…世の中を変えるような新しいモノを発明することもすごいことだと思うから。」 ー“Stay foolish”※という“ポンコツ”に相通じるような言葉もありますしね。

※「Stay foolish(ステイ・フーリッシュ)」は、スティーブ・ジョブズが2005年のスタンフォード大学卒業式で引用した「Stay hungry, stay foolish(ハングリーであれ、愚か者であれ)」という言葉の一部で、「現状に満足せず、常識にとらわれず、好奇心を持ち続け、探求し続ける姿勢」を意味する。
(Google検索・AIによる概要から)

玉木「すごく共感できるところも多い、その人たちと共に“映像づくり”をさせてもらうってことはすごく学びも多くて愉しかった!不思議なワールドワイド感もあって。」 ーほんと伝えること、映像分野におけるクリエイターの最先端チームが来ているってすごいですよね。

玉木「そうなの。どうやって映像を組み立てていくのか? 現場をどうまとめていくのか?っていう、リーダーの指揮みたいなところも見せてもらえて。」 ーメンバーの方々ってどこから来られたんですか?

玉木「世界中から。」 ーtamaki niime撮影チームを編成して。すごいじゃないですか!

玉木「撮影機材は日本から。日本の黒澤フィルムスタジオの機材が投入されて、そこの皆さんに加えてクリエイティブの担当者は海外のあちこちからやって来て、創り込んで帰った、という。」 ーふぅん~ん…すごく今日的なやり方な気がしますね。世界中に散らばるトップ人材を集結させてチームでガーッと仕事して…解散!みたいな。

玉木「カッコよかったですね…で、やっぱり集中力があるというか。スタッフの歩き方ひとつとっても、あれこれ現場で探ってどんどん変更してゆく。さらにさらに映像をよくするための追求があって。クリエイティブの現場感がすごい。」 ーtamaki niimeとしての要望はあったんですか?

玉木「そこは完全にお任せ。私たちは演者なので。最初のディスカッションの時に伝えたんですけど、私たちがどんなモノづくりをしていて、どんなことを打ち出していているかをちゃんと理解してもらった上で、彼らを尊重して…私の場合はほとんどシナリオなしにアルパカちゃんとか動物さんに餌をやるってシーンだったから愉しくできたの(笑)。」 ーなんか傾向見透かされているみたいな(笑)。そんなトップレベルの技能者集団とともに映像づくりって、すごい刺激でしょうね。

玉木「滅茶苦茶いい刺激になった。で、今回は阿江美世子がすごく頑張ってくれて。阿江さんがtamaki niimeを代表してしっかり英語でコミュニケーションを取ってくれたっていうのは…彼女がよりよいものにするべく、本当に丁寧にやり取りしてくれたから素晴らしい作品になったんじゃないかなと。」 ー阿江さんがダイレクトに意思疎通できるのって大きいですね。tamaki niimeの伝え手としても。

玉木「日本語だと皆んな一生懸命伝えようとするんだけど、英語となるとね。ほんとに大きかったと思う。その場の雰囲気をよくするために気を利かせて会話するようなことも含めて阿江さん得意だから。」 ーtamaki niimeを伝えながらより良い雰囲気でAppleさんと協調し創り上げた映像作品ですね。

玉木「私たちも来てもらえたのが嬉しいから前のめりに愉しむじゃないですか。リーダーは日本人の女性の方で、通常撮影って相手側に迷惑にならないかと気をつかうそうなんだけど、なかなか得難いチャンスだから、スタッフ皆んなに絡んで行けよ!って言ってたこともあるし、やっぱりやったことのない経験て愉しいじゃない?Appleさん側もすごく喜んでくれて。ちょうど梅田に新店舗ができたタイミングと重なってオープニング イベントでトークもさせてもらって。」 ー今年はそんなAppleと絡んでの発信もあり…そしてtamaki niimeを伝えると言えば、いよいよ本も出ましたね。

玉木「出ましたね、ついに。……何年越し?」 ーそれは藤本さんに訊いてください(笑)。

玉木「もういつからのことか忘れちゃった(笑)。最初は会社設立じゃなくて、ブランド設立20周年の昨年に出すつもりだったから。」 ー私も制作に関わって結局、この「niime百科」の玉木さん語録をベースに、感覚を先行させて創るやり方に変更して。ページごとにデザイン変えてますし。そこからは気持ちも載せて一気呵成に仕上げましたね。

玉木「色んな愉しみ方がある。」 ー表紙も一般的な本の常識からはみ出てますよね。本文デザインも色々と遊びましたが、幻冬舎さんから修正依頼はなかったという(笑)。

玉木「よかったです。制作も愉しめた本になったかと思います。」 『きもちいい は うつくしい』本のあれこれについてはこちらをぜひご覧ください。

インドという昔ながらの手仕事によるモノづくりが今なお豊かに息づく環境との出会い、世界中から集結したAppleのクリエイターチームと交感しながらの動画撮影。伝統と最先端の両方を視野に収めつつ、tamaki niimeのクリエーションは“新化”の歩みを止めない。

玉木「今年一年間、経理と生産の仕組みを見直してみて、私が想い描く、より面白いモノ、ワクワクするモノづくりまでにはまだ至っていないところがあって。60点70点までは行けてるんだけど、90点くらいまで持っていくには、各チームを信頼して委ねてはいたけれども、任せっきりにしていた反省も含めて、私が絡むことでまだまだクオリティを上げられる、生産数を上げられる部分があるなと。より効率的に、でも面白いモノ作 りができるように、クリエーションの可能性を拡げる。各チームが輝けるように、そこを一緒にさらにやっていけたら。結果、ワクワクする作品がドバッ!と出てくれば。」 会社設立20周年という節目の年を迎える2026年へ。
玉木はブランドのターニングポイントとなる新たな構想を膨らませている。

今年も「niime百科」をお読みいただきありがとうございました。
それでは皆さま、どうぞ良いお年を!

〈元旦の『くる年編』へと続く〉

Original Japanese text by Seiji Koshikawa.
English translation by Adam & Michiko Whipple.