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Encyclopedia of niime

niime百科百回達成記念
niimeゆく年くる年2023-2024

年越し“下剋上”放談

〈ゆく年編〉

2023 . 12 . 31

前回の掲載で目出たく連載100回を達成、今回、年末年始恒例の「ゆく年くる年」で新たなステージへと踏み出すこの「niime百科」。

2018年4月1日の「introduction」から数えて5年と9ヶ月。。長きに渡って皆様にお読み頂き、本当にありがとうございます。

振り返れば、日々新たに絶え間ない“新化”を繰り返す「ネイチャーブランド」tamaki niime を取材しヴィヴィッドにこの場でお伝えすることの、やり甲斐と難しさを常に感じながらの連載でした。

ダメ出しによる書き直し、更には記事スタイルのマンネリを指摘され存続の危機を迎えたことも。(汗)

聞き手・書き手である私もまた、おのれの遊びゴコロを十全に解放しつつ、ピーンとテンションが張った緊張感も携えながらの取材とライティングの日々。

それは、確固たる芯を持ちながらも、アメーバのごとく“変態”する“niimeイズム”に戸惑いながら、それを頭で理解しようとするのではなく、心躍らせ自らアクションする中で体得し、自分の腑に落としてゆく過程だったようにも思えます。

コロナ禍の難局を社内一丸で乗り切った時期を語る玉木さん&酒井さん、スタッフの皆さんの発言の数々も含め、
“唯一無二な”tamaki niimeの歩みの貴重なアーカイブともなるべく、ここまで伴走を続けて来られたことに感謝の想いです。

デザイナーでありビジネス人であり経営者であり研究家であり求道者であり、アーティストとしてのシャープな感性と、湧き上がる創造性とパッションの、豊潤でカオスのような源泉を絶やさない玉木さんそして酒井さん。

「niimeゆく年くる年2023-2024」。二人による、まさに「ネイチャーブランド」を体現する、自然体=あるがままの語り、百回達成記念の年越し放談ドキュメントをたっぷりとお届けします!


—— 酒井さん的にはどうでしたか?2023年は。

酒井「僕は母が亡くなったから余計に、怒涛のこの一年でしたね。別にそれを忘れようとか忘れたいとかじゃなくて、母が亡くなってから、あっという間でしたね。怒涛というよ りはスピーディで、もっと“洗練”された。…いい意味で淡々と過ごしたというか。」
—— それは心境的に…

酒井「精神的に。その中で、これは以前からそうなんですけど、スタッフ教育というところに関しては、意識をしてましたね。こうやったらいいかな、ああやったらいいかなと試行錯誤して、トライ&エラーでやってみて。前は会社役員でしたけど、今年代表になって、代表としてどう出来るかなというのは無茶考えたかもしれないです。玉木の方はもう最初から代表をやってるんで、“酒井的な代表”ってなんやろう?っていう。」
—— はい。そこは見えてきたところはありますか?

酒井「ありますあります。「tamakiniimestaff」のインスタにも載ってるんですけど、何が伝わるかって…結局テクニカルな部分て、意外と伝わりにくくないですか?」
—— と言いますと。

酒井「例えば農業やるにしても、この苗は何センチ間隔で、こうこうこうやって植えるんだよ、って教えるよりも、とりあえず好きなように植えてみな、上手く実ったらこうなるから、って結果を見せる方が、楽しく植えたいなと思いません?」
—— そうなるにはどうしようかなと…

酒井「そうそう。自分で思考する。だから、やっぱり“想い”を伝えるべきなんやと。“熱量”というか。パッションを伝えるってゆうのが大事やなぁと思いましたね。」
—— ハウツーじゃなくって。

酒井「はい。だから本当に原点に戻ったというか。」
玉木「この、「niime百科」百回達成記念取材の前日に、酒井義範は覚醒しましたよ!」
酒井「昨夜久しぶりに8時間ブッ通しで眠ったんですよ。その前に延々30分以上本気でしゃべって、疲れて。どんどんボルテージが上がっていって。」
玉木「疲れすぎて(笑)。」
酒井「僕は常にそれぐらい本気で取り組んでるし。人に何か言うって、自分と対峙することとイコールじゃないですか。自分ともしっかりと向き合えた時間やったから。」
玉木「百回達成記念に、今回は酒井が独壇場で語ります。」

「tamakiniimestaff」のインスタ動画で、酒井の熱い語りの“現場”を見せてもらった。

酒井がスタッフに伝播させたいことは、逐一の言葉そのものではなく、溢れ出る熱意と想い、己れの取り組みの真剣さではないだろうか。

「素」になって、本気で本音で、tamaki niimeについて、言葉を皆んなで交えてゆく。酒井はそのための火付け役を担っているのだと思える。


酒井「人材教育に関してどうアプローチを掛けるかを無茶苦茶考えましたね。…それで「ハラスメント」と受け止められたこともあったんですけど、そこは突き抜けてやり切らないと、ここまでが限界というラインが掴めないというのもあって。」
玉木「ずっと人材教育を繰り返してる。最初は私たち二人だけだったけど、ここ15年、スタッフに動いてもらうために、まぁなんだかんだ、色んなことを試みましたよ。」
酒井「どんなに下手クソな言葉でも伝わるヤツにはスーッと伝わる。わかってくれるというか。伝わる・伝わらないはテクニックじゃなくてここ(胸を指差しながら)、パッションなんですよ。」
玉木「結局、ピュアな人間が、育つ。」
—— ピュアさ、素直な感性って大事でしょうね…。

酒井「先日、丸と四角のメガネの経済学者・成田祐輔さんのスピーチを聴いてたんですね。めちゃめちゃ語りがテクニカルで構成が上手いんですよ。話の序盤から整然と形作られてて上げ下げがあって、最後見事に着地させて。僕はああはなれないですけど、でも、あれだけ上手に喋ってる成田さんの言葉ですらも、響く人と響かない人がいるわけですよ。」
—— いくら名スピーチであれ、百人いたら百人ともの心を打つわけではないと。

酒井「だから、僕思いました。この場でハッキリ書いといて欲しいんですけど、ホントに響くヤツだけでいいかと思います。」
—— …響く人間だけでいい。

酒井「うん。それは切り捨てるとかいうことじゃないですよ。共に走るのは…響くヤツだけでいいかなと思います。一緒に走ろうぜッ!って声かけて、走ります!って言ってくれた子と僕は走りたいと思いますね。越川さんだって、例えば、ここに3人やって来たとして、僕見学したいですッ!って手を挙げてくれた子を案内したくないですか?」
玉木「私が問題だなって思ってるのは…それが国民病みたいになってるねん。」
酒井「なってる。」
玉木「表現ができない。心の中では行きたいと思ってたとしても、他人から観たら、行きたくないって顔になってるってこと。」
酒井「なんでかって、日本人特有の同調圧力に負けるやつや。」
玉木「人の目を気にして、自己表現をしたことがないのよ。コロナ禍のせいもあって、マスク慣れしてる子たちって顔が笑ってないねん。心の中と身体が、一致してないの!」
—— 知らず知らずのうちに“仮面”をつけちゃってるみたいな。

玉木「うん、仮面人間。癖になっちゃってる。無表情が。」
—— …私も若い頃とかそんな感じだったかも。

酒井「越川さんて僕、けっこう付き合い長いですけど、すごいこう…」
玉木「キョトンとしてる。」
酒井「キョトンとしてようで、情熱的な人なんや。」
—— キョトンとして情熱的。面白いですね(笑)。

玉木「表情はキョトンとしてるのよ(笑)。」
酒井「オラァッ!みたいなことは言わないけど、ちゃんと自分の想いとか意思を伝えてくれる人やな、昔から。」
玉木「でもいやほんと、色々スタッフ教育試してきたけど、それこそ茶谷さんの入社の頃はスパルタで。その時代から…」
酒井「いや〜でもあの当時から比べるとほんと緩いよ。だって朝来てみんなで洗いをブワーッってやって、縫製ガンガンやって、わちゃわちゃやったよ。」
玉木「寝てる間がなかったからね。」
酒井「今でこそtabe roomこしらえて母そしてみさきがごはんつくってくれてますけど、最初の頃は牛丼やカレーやったからな。」
玉木「毎日のようにレトルトやったな。料理してる暇がないもの。」
酒井「第一、メシ食う場所がないから、外で食べたりとかさ。」
玉木「怒涛の日々やったな。愉しかったけどな。」
酒井「そうそう、めっちゃ愉しかった!」
—— 創成期って、なんかありますよね。“カオス”みたいな愉しさが。

玉木「アドレナリンが出まくる…。」
—— 組織って難しいですよね、何巡目かしてくると…

玉木「そうなの。そのままってわけにいかないから。」
酒井「現状のままで1000人規模とか嫌やもんな。」
玉木「…次のステージは酒井がやっと目覚めましたので、人材育成をしてくれるそうですから。」
酒井「人材育成をする、ってゆう感覚はないですけど、ずっと常に僕は、「想い」を伝え続けて行こうってゆうのは思いました。しょっちゅう言ってたらウルサイから、ここぞって時に。」
—— 酒井さんの言葉って、何よりパッションがすごい胸に響くと思うんですよ。極端な話、何言ってるのかよくわからないけど、響いた〜!みたいな。

酒井「…そうそう。」
玉木「なんかわからんけど…来たわっ!みたいな(笑)。」
酒井「そうそうそうそう。」
—— それが何年か後にポンッと芽が出て来て、あ、そうゆうことか!と。

玉木「…そんなモンですよ。だからそこを、手を抜いちゃイカンなってことやな。」
酒井「情熱の伝え方を色々とやって来ましたけど、やっぱり直接話して、自分の想いをダーンッ!て伝えるのが一番イイっすね。」
玉木「リーダーを介して、間を通すとかしてたんですよ、最近。」
酒井「組織ってだいたいピラミッド型じゃないですか。トップがいてその下に管理職がいて、みたいな。でもほんとは、無茶フラットで、僕らがダイレクトにすべてのスタッフにアクセス出来る方が、組織としてスムーズなのかなと。活性化するというか。」
玉木「結果的にそうなればね。効率を考えたらちゃんとリーダーを育てて、そのリーダーが下を育てて…っていうのが本来の組織のあり方やから、そうしなきゃと思ってやって来たけど、下とのコミュニケーションを取る時間も持たないと。…伝言になっちゃうと、焦点がボケちゃう。そこの兼ね合いが難しい。」
酒井「だから来年に向けての抱負は、玉木とともにスタッフたちと、ちゃんとコミュニケーションが取れる人数でメシとか行きたいなと。」
玉木「西脇のお店を巡業するわ。」
酒井「もっと腹割って話したいなと思うんスよ。」
玉木「嬉しいね、また色んなお店出来たから。パン屋さんも。」
酒井「アンブレラ!」
玉木「cinema coffee umbrella(シネマコーヒーアンブレラ)大・大絶賛(笑)!!」
酒井「宣伝とかじゃなくて、書いといてください。アンブレラさんのラテとパン、無茶苦茶美味いですよ。」
玉木「宮崎さんのピザ屋さんも出来たし。」
酒井「そうそう、ウチにいた宮崎が息子さんたちとピザ屋さんやってるんですよ。それも書いてください。名前は…ミヤザキーノ。(註:本当の店名は、quaranta(クアランタ)です。)」
玉木「庭がとても広くて、白い烏骨鶏ちゃんが4羽いる。雄1羽、雌3羽。無茶美味しかった。」
—— ピザ窯も自分で作られたんですよね。

玉木「ピザ屋がほしいほしいって前々から言ってたらさ、市内に3軒も出来ちゃって。私の引き寄せって、スゴイ…。」
酒井「話を戻すと、今年はスタッフたちのことを“精査”出来た一年でした。一見ヤル気なさそうでコイツ実はすごく前のめりやな、とか。」
玉木「見た目と中身がね。そこは色々皆んな個性があるから。」
酒井「言葉上手じゃないけど、ハートがあるなとか。良い悪いという意味ではなくて、そこをもっとこう、皆んなが…理想は、全員がすごいパッションに溢れてて、この会社なんなん……??って会社にしたいんですけど。」
玉木「元々私たち二人で走って来たでしょ?私はオモロイモノを創ろうで走って来て、彼がどうやってそれを売ってゆくかを考えて来たわけですよ。全国47都道府県にとか、世界中に広めたいとか、老若男女に身に付けてほしいというテーマのもとで、酒井が進めて来た「開くチーム」だったんだけど…そこを5年振りに束ねると。」
酒井「来年に向けてちゃんと僕たちの“想い”を伝えてゆく。僕、自分で言うのもなんですけど、決して間違ったことは言ってないんですよ。」
玉木「言い方とか口調の激しさとかあるけど、言ってる中身は間違ってないから、素直に聞いたらいいのになとは思う。」
酒井「自分が20代の頃に聞きたかったことを僕は言ってるから。ほんと僕らの若い時代には誰も教えてくれなかったから。」

私自身もハタケは異なるものの、かつてグラフィックデザイナーとしての「修行時代」を経た経験がある。

1990年代。昔ながらの手作業によるデザインとMacの普及によるDTP黎明期の両方を経験することができた。手取り足取りレクチャーしてもらうとかマニュアル本とかはなくて、下働きからスタートし、先輩の仕事振りを観ながら体験的に感覚でデザインとはなにかを丸ごと掴んでゆく他なかったものだった。

とにかく自分の手を動かし試行錯誤しながらデザインというものを「体得」していったように思う。早く「目から鱗を落とす」ようにと、師匠や先輩からはハッパを掛けられた。

後から思うに、「開眼する」ためのヒントは事務所の至るところに散りばめてあった。それに気づいていかに自分でモノにするかが肝心だったという気がする。「クリエイティブな行為」とは、すでにあるものをなぞることではなく、未知の領域に自分で足を踏み出す、そんな冒険にも似たような、“一回性”に満ちているのだ。


玉木「でもこれからが愉しみだなと思って。やっと素地が出来たって感じじゃない?」
酒井「出来た。」
玉木「少人数の頃の号令かけて皆んなで走ってた時代も過ぎ、チームをつくって各々にやらせてた時もあってこれだと上手くいかないとなって、その後紆余曲折を経て、リーダーたちが今、自分たちの希望した人材育成のやり方がやっぱり間違ってたと気付き始めたの。」
—— 自分たちの希望したやり方とは?

玉木「きちんと寄り添って話をして一緒に進んでゆくって方法を取りたいって言って来たから、やってみなさい、ってことでやってたんだけど、それじゃ走れないってことがわかったって、ついこないだ言われたの。やっぱりこれでは回らない、言い方が優しすぎると、モチベーションは上がるけど、やらねばならぬ!にはならないというか。ようしやるぞォ〜ッ!!ってパッションには繋がらない。だから助けてくださいと。わかった、どうしようか考えていこうかと。やっと気づいてくれたかと思って。」
酒井「コロナ禍を境にグローバリズムは終わったという人もいるし、AIに支配されるという人もいるけど、今は“戦国時代”だと思った方がいいと僕は思います。かつてその時代は躊躇したら一瞬で切り捨てられるし、武将以下、ものすごい緊張感の中に皆んないたわけでしょう?今の時代、なんもしなくったって傷も負わないし。」
—— 今は与えられる時代ですもんね。情報だってAIが選別してくれるし。

酒井「そう!昨日も言ったんですけど、情報なんて待ってても降ってこないよ、と。今だって、情報は取りに行かんかったら。」
玉木「本当に欲しい情報はね。」
酒井「そうそうそうそう。」
玉木「降ってくる情報は、金の成る木になるだけやもんね。お金取られちゃうだけ。」
—— 誰にでも簡単にアクセスできるような情報は。

玉木「どこにアンテナを張るかが大事。」
コロナ禍を経てなお混沌とする現代の世界。争い、対立、資本主義やグローバリズムが終焉するという声、AIの台頭、ファッションやアート、カルチャー、そして人々の暮らし…数年先が見通せず、状況が目まぐるしく移り変わる時代に私たちは直面している。

酒井「まさに今、戦国時代だと思うんですよ。」

唐突だが、「戦国時代」〜「下剋上」というと、私にはリアルな同時代経験として10代の頃・70’s後半に出会った、パンクロックが想起されてくる。

60年代末、「Love & Peace」の掛け声のもと、若者たちにとっての、社会を変革する起爆剤だったはずのロックミュージックは、70年代中期には商業化が進み、巨大な音楽ビジネスとなりメッセージの鋭さを喪失していった。

70年代後半、経済不況にあえぎ閉塞感漂う英国でそこに風穴を空けたのが、ファッション・デザイナーであり策士だったマルコム・マクラーレンが仕掛け、若き切れ者ジョニー・ロットンがフロントマンを務めたセックス・ピストルズ。マルコムはヴィヴィアン・ウエストウッドと 先鋭的なブティック「SEX」を共同経営し、そこに出入りしていたのがピストルズを結成するメンバーたちだった。

ピストルズの出現によって、直ちに激しいビートと真摯でリアルなメッセージを携えたザ・クラッシュやザ・ジャムら後続のパンクバンドが雨後のタケノコのように登場し、当時の英国の若者たちの圧倒的な支持を得た。

パンク・カルチャー、パンク・ファッションが席巻しあっという間にそれまでの長髪やベルボトムはダサくなった。アーティストと観客の垣根が低くなり、日陰の存在だったマイノリティ(少数派)の人々が自己を表現するために楽器を手に取り、各々が自分たちの言いたいことを歌い出した。

パンク・ムーヴメントはニューウェイヴへと移行し百花繚乱、続々と新たな音楽スタイルと主張を抱えた新人アーティストが登場し、既存の大物バンドらはもはや過去のものの扱いで“オールドウェイヴ”と呼ばれるという、まさに下剋上な音楽状況が英国では数年間続いた。

そして遠い海の向こうのそんな状況に10代の瑞々しい感性でもって刺激を受け、パンクのスピリットとエッセンスを吸収し“日本代表”を大胆不敵に名乗って80年代半ばに登場したのがザ・ブルーハーツの面々だった。


酒井「その頃の音楽状況を僕らは詳しくは知らないですけど、僕らを一言で言うならパンクっすよね。その頃のイズムみたいなものが、まさに今、要りますよね。」
—— 酒井さんの注入しようとしてるスピリットにも通ずるものなのかな…そんな風に思うんですよ。

既存の方法論とは一線を画し、クリエイティヴで斬新なスタイルを鮮やかに提示する。デザインでありアートであり、志を携えて、地域(ミクロ)と地球(マクロ)の両方に想いを馳せながら「一点モノ」を創出し、脱皮と変態を繰り返し日々自分たちを新たにしてゆくtamaki niimeの方法論。それは、自ずと自らが革新的であり続けるという、唯一無二の在り方なのだ。

—— tamaki niimeという「場」そのものが「下剋上」の舞台なのではと。

酒井「それ書いといてください。」
—— そこが浸透したらもぅ、怒涛の様に動き出すのでは…と思えます。

酒井「だから僕は、常に“エアー刀”を差してるつもりでいますもん。気合いというか、常に斬る・斬られるの心構えはありますね。」
玉木「“ラストサムライ”というか。」
酒井「先日、ある研究者の方がウチに来た時にお話ししたんですけど、テクノロジーの最先端って言えば現時点では、「ハッカー」じゃないですか。ハッキングする、それに対処するのイタチごっこでネットというかデジタル社会の構築が推し進められて来たけど、もうその時代は終わった、って僕は言ったんですよ。」
—— そうなんですね。

酒井「そう。僕の中で。そんなんじゃなくて、今は“ネイチャー・ハック”って僕は呼んでるんですけど。何も難しいことじゃなくて、自然とつながる、という意味でのハック。」
玉木「ナチュラルにつながるという意味?」
酒井「そう。」
玉木「あれだ。ピーッ!って。超能力だ。」
酒井「玉木が朝起きて、太陽に向かって、今日も一日お願いします、ってゆうのも“ネイチャーハック”なんですよ。で、ほんとにこの人、自然をハッキングできるのが、「雨止んで~!」って言うと、雨止むんスよ。」
—— ………。

玉木「ハハハ(笑)。」
酒井「(玉木に)これマジな話、なぁ?」

〈くる年編に続く!〉

この続きは明けて元旦の〈くる年編〉をお愉しみに!
それでは皆さま、どうぞよいお年を。

Original Japanese text by Seiji Koshikawa.
English translation by Adam & Michiko Whipple.