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Encyclopedia of niime

niime百科百回達成記念
niimeゆく年くる年2023-2024

年越し“下剋上”放談

〈くる年延長編〉

2024 . 01 . 20

玉木「ドバイに行ってる面白い人たちがいるから、と紹介してもらったんですけど、私たちもショールをはじめ世界中にtamaki niimeの作品を届けたい!との想いがあるので、そのお二人からのドバイに戻るからよかったら一緒に来たら?というお誘いに、行きます!!ってなったの。」
ドバイ在住のKさんと神戸を拠点にドバイとを往き来するOさん。二人は知人を介して昨秋西脇のtamaki niime muraを訪れた。

玉木「一度観に行きましょう、ってウチに来てくれて、感動してもらえて。ああ、これは世界に広めた方がいい、ドバイへ行って一緒に作戦練りましょう!ってなって、阿江と一緒に営業しに行って。私たちのショールが世界に通用するかどうかの話をしに行ったの。」
—— 急展開ですね。さすが話が早い。

玉木「ドバイで何があったかと言うと…いっぺん地の底まで落ちて…一転、次の日には空の上に舞い戻って来たという。心情的にね。」
—— そんなに激しく想いが下降・上昇したと…。


アラブ首長国連邦ドバイ首長国の中心都市ドバイ。アラビア半島のペルシャ湾に面し、19世紀に中継貿易港として開かれたこの街は、今世紀に入り相次いで超高層ビル群や巨大ショッピングモールが立ち並び、中東指折りの世界都市、一大金融・流通センター、観光都市として、現在も飛躍的な発展を続けている。


玉木「実際に作品を手に商談をと乗り込んで行って、日本人のお二人はめちゃめちゃ応援してくれるけど、彼らのビジネスパートナーである絨毯業界トップのトルコの方たちは、事前に私たちのことを説明もしてもらってたし親日国の人たちだから絶対に前向きだよって聞いてた割には、全然乗り気に感じられなくて。」
—— ショールを手土産に意気込んで行ったにも関わらず。

玉木「そう。何年か前に私がヨーロッパに行った時も、似たような展開になって。あ、国内で自社内でモノづくりを完結させるってゆうのは、日本でやってるから、日本では他にないやり方だからこそ、日本人にとってみれば素敵なことではあっても、他国ではすでにそれに取り組んでる人たちがいると。トルコでは自国発の世界的ブランドがあるかといえばそうではないけれど、原材料も国内で賄えるし技術的なものはすでに持ってる。すべての条件が揃ってるから、やろうと思えば出来るわけで。羊もいるよ。オーガニックコットンあるよ。紡績も織りもやるよ、という。」
—— う〜ん…。。

玉木「日本にはないやり方だから私たちは良しと思ってやってるけど、向こうに行ったら通用しないんだ、って思って。」
酒井「打ちのめされてんな。」
玉木「あ、無理やわ。tamaki niimeは日本で頑張ろう、ってゆう初日の夜の反省会だったの。世界は諦めた。二度とドバイへ来ないから、しっかり観光して帰ろなって具合だったのよ、テンション的にね。凹んだまま早朝3時から気球に乗って…。」
—— …ああ~…

玉木「で結局は、ドバイに誘ってくれたOさんが、朝食に帰って来た私たちの様子が、あれ?なんかオカシイぞ、と思ったらしくて。意気揚々としていた前の日に比べて…」
—— 意気消沈してると。

玉木「どうした?なにかあった??と気にかけてくれて話し合いが始まり、ラクダに乗る予定だったけどもうそんな気分じゃない、ドバイで通用するかどうか、一か八かでこっちまで来たビジネスの話をちゃんとしたいと伝えて。その日は観光じゃなく、ショッピングモールの視察だったり、どんな人たちがいるのか、しっかりドバイを観て廻りたいと伝えて一緒に廻ってもらって。」
—— …そうだったんですね。

玉木「結局、その日の夜、OさんとKさん二人に背中を押されたの。」
—— はい。

玉木「この18年でドバイに何が起こったのか?どうやってこんなにも成長を遂げたのか?そしてこれからどうなってゆくのか?…全部教えてもらったの。」
—— ドバイのあれもこれもを。

玉木「世界の最先端ですよ。東京よりもハイテクだし、ニューヨークよりもロンドンよりも最新型の街がこの18年間で出来たと。首長国連邦の国王が、この砂漠の土地を人が集まる場所にしたい!とスタートを切って、以前は何もない処だったのを、トップが責任持ってやると決めて自ら営業に出向いて人を呼んで来る。で、毎年何かしら世界一のものを創ると宣言して、世界一高い高層ビルだったり、世界最大の噴水だったり、映画『ミッション:インポッシブル』の舞台に使われるだとか、あらゆることをやって来て今がある。でもまだまだ発展途上でしかなくて、あと10年後には、今出来てる巨大都市の倍の面積の砂漠を同じように都市化するという計画がグワーッと進んでいて、しかもそれを自分たちだけでやるんじゃなくて、富裕層や労働者にメリットを与えて移民をどんどん呼び込んで…そんな風に考え抜いた挙句にこの巨大都市を創り上げたんだと。」
—— 凄まじいですね…。

玉木「だから、やればできるんだぞッ!!ってことを言ってくれたの。」
—— う〜ん…。。

玉木「それに比べて日本を見てみなさい、ずっと変わらず侵略もされずに脈々と存在し続けている国なんて、世界中探しても日本しかないんだぞ、と。独自の文化が代々伝わっていて、1200年の歴史を持つ西陣織をルーツにした播州織というものが230年以上、今も続いているんだよ、って。それってアメリカ合衆国が出来てからとほとんど変わらない年数なんだよ!日本人であることにもっと誇りを持ちなさいッ!!…って無茶怒られて。…そうですね…。って言って。」

日本製家電品の輸入販売を手始めに粘り強く現地で身を起こし、地道に人脈を築き、不動産業で成功を手にしたKさん。その過程ではリーマンショック、東北大震災での被災体験、そしてコロナ禍と、いく度もの困難な状況に手掛ける事業が大変なダメージを受けながらも、その都度乗り越えて来たのだという。そんな経験を経た上での気概がこもった言葉に、玉木たちは叱咤激励された。


玉木「なんとかなる、大丈夫!!って。無茶ケツ叩かれた。」
—— それこそ、すごいパッションに溢れたお話だったわけですね。

玉木「そうなの!「あなたたちはスゴイことをやってるんだーッ!!」って。「そうですか…トルコに比べたら私たちなんか大したことないと凹みました。」と言ったら、「凹んじゃ駄目ーッ!!」って。」
—— そんなドラマがあったとは…。

玉木「で、無茶元気もらって。「tamaki niimeはやれる。全世界に絶対行ける!!」って背中を押してもらって帰って来たの。だからドバイで、商談自体の結果云々じゃなくて、日本と世界を俯瞰して観れた。」
—— なるほど…

玉木「日本の良さもわかったし、日本人でよかったと思えることもたくさんあったし、海外で日本人として頑張っている人たちがたくさんいて、そんな人たちから協力してもらえる…確かな絆を築くこともできたし。」
—— それが大事ですよね。

玉木「去年一年間はほんとに私、それを望んでたの。もう“内”だけで頑張るというのは大変さを感じてて。」
—— 外から手を差し伸べてチカラを注入してもらえる出会いがあったわけですね。

玉木「ドバイの方もそうだし、今度鎌倉にお店を出すんだけど、そこの物件のオーナーさんや…皆んな50代の方たちで「間違ってないから頑張りなさい!」そう言って背中を押してくれる。」
酒井「皆さん言ってくれるよな。」
玉木「皆んなが助けてくれる。「ありがとう…。」って…。」
酒井「とはいえ…」
玉木「…なんだよ??」
酒井「玉木にドバイでそんな一件があったにせよ、僕はずーっと一貫して誰にも負ける気がしないですけどね。今までも、今でも。世界的にも。」
—— そこは酒井さんとしての確信があるわけですよね。

酒井「はい。最初の頃の「niime百科」にも載ってますけど、昔イギリスへ行って、本当にクリエーションのトップって人たちに会ってみて…僕はね、クリエーションってゆうのは“降ってくる”もんだと思ってて。けど、その人たちは無茶勉強してるから。なんや、そんなんでいけるんや、と思って。余裕やん、直ぐにそのポジションまで辿り着けると思いましたよ。」
—— ならば、勉強すればよいだけかという…

酒井「そうそう。努力してるだけなんやと。」
玉木「情報を得てるだけ。「産み出す!」というんじゃなかったんだ、ってのは思った。」
—— なんてゆうか、太刀打ちできないような“天性のもの”があるとかじゃなくって…

酒井「ほんと後天的なところでやってるんやと思って。その時点でなんや、勝てる!と思ったんですよ。僕はどっちかってゆうと直感肌やから。」
玉木「降って来ないんだ、皆んな。って思ったんだって。」
酒井「なんじゃそら!??、しょーもな、と思って。」
—— 酒井さんは感覚も思考もワープ出来る人ですからね…。

玉木「フフフ(笑)。」
酒井「今でもマーケティングの上で色んな情報取って来て見てはいますけど、僕がスゲェ!ヤバっ!て思うもん、ないスもん。」
—— …。

酒井「だいたいそのカラクリがわかっちゃうから。あ、これはこんな目的でこうゆう風に仕掛けられてここへ繋がっててこうなって、…だいたい、世の中どこを見渡してもビジネス的戦略としてそれがあるという。で、ビジネス的戦略上のコマとして誰それがいるという…そんな風に流れが透けて見えるから。」
玉木「薄っぺらい流れが見えるね。」
酒井「ティッシュよりも薄っぺらいから。」
玉木「(歌うように)でも、tamaki niimeは今年もっと面白くなるよ、ねッ?また新しいこと始めるから~。」
—— …なんて言うか…この時代、あれもこれも整然と形作られていて、“カオス”が無いってゆうか。

酒井「そう!」
—— 今の世の中、“ワンダーランド”じゃない、ってゆうか?(笑)

酒井「そうそうそうそう!!ワンダーランドじゃねェんスよ、ほんと。」
—— なんか予想がついちゃう、みたいな。

玉木「テレビもそうだもんね。そこが見えちゃうから面白くない。あ~そうかこれはあれを売り込もうとしてるんだ、とか。」
—— 前々回、アツくなってパンクの話しちゃいましたけど、そんな自分にとって未知の冒険みたいに無我夢中になれるもんが…

玉木「…ないねん!」
酒井「ないっしょ??」
—— これから一体どうなるんだろう?わかんねーみたいな、ワクワク感…。

酒井「そうそう!予測不可能というか。」
玉木「わかんないから気になるんだよ、ねェ!?そんなに簡単に答えがわかってたまるか!って思うの。」
酒井「そうそう。そうや。それが今、世の中の流れが見てとれちゃうから、全然オモロナイんスよ。あ、世の中こうゆう風に回ってるんや、くらいにしか思わなくて。」
—— はい。

酒井「その上でウチってどうゆう風な、それこそさっきのパンクじゃないけど、どうやって尖ろうか?ってなことは思うけど。」
—— どう既成の枠組みから逸脱するか?ハミ出してゆくか…

酒井「そうそうそう。」
—— というか、どうやって?と、問う以前に…

玉木「そもそも違う、ってゆう。」
—— あ、ひとりでに違う方向行ってた、みたいな。

酒井「そうそうそうそう。」
玉木「なんでこっちに来ないの?くらいな感じですよ、ウチらにしてみたら。こっちが王道くらいに思ってるもんな、自分たちが。あれ?なんでそっち行くの??こっちは愉しいのに、って。」
酒井「こっちの方がオモロイのに、って。なぁ?」
玉木「そうそう。」
二人とトークしつつ、私には中1の頃にビートルズを耳にし、“Come on, Come on!”と唄うジョン・レノンの声のチカラ強さと魅力に促されるように洋楽に夢中になっていった経験もまた、想い出されて来た。

—— ジョン・レノンからの誘い声にワクワクとついて行ったという。

玉木「そうゆうことでしょ? 結局。愉しそうやなって。そんなもんや。」

1960年代、ザ・ビートルズはビートの躍動感と一体となったキャッチーでポップ、魅力的なヒット曲を連発して世界中の若者を虜にした。
私の場合は追体験ではあったが、親しみやすいメロディを合わせ持ちながらも音楽的実験を繰り返し革新的な楽曲を次々と発表して行くという、60年代後半の彼らの、リスナーを引っ張りファンとともに成長していった姿勢にも大変魅了された。


—— 大衆的であり実験的。そんな在り方は、tamaki niimeにも相通じるものを感じるんですよ。広く影響を与えて人々を巻き込んでゆく。

玉木「そうなるかな?時代が変わるといいな。面白くなる。」
酒井「うん。そうして行きたいよな。」
—— これからの時代、いっそうアートが重要になるかなと思うんですよ。

酒井「そうそう。ほんとそう。」
—— AIだって絵を描いたりアート制作をやるわけですけど、そうゆう、過去のデータから導き出すとかじゃなくて… 玉木「何も考えずにやればいいのよ。言ってるじゃん横尾さんだって、“肉体労働”だって。」
—— 横尾さんは大きなキャンバスに毎日のように絵を描いて自分のことをまるで「アスリート」って言ってますよね。 酒井「そうゆう意味ではよかったのが、「アール・ブリュット」って言って、僕、スイスのローザンヌの美術館に行ったんですよ。あれに触れたのも大きかったですね。」

「アール・ブリュット art brut」とは「生の芸術」を意味するフランス語で、画家ジャン・デュビュッフェによって1945年に提唱された。「アウトサイダー・アート」とも呼ばれる。
障がいを抱える人たちによる創作活動をはじめ、正規の美術教育を受けていない人たちの手による芸術や、既存の美術の流れには影響されない表現と理解される。伝統や流行、教育などに左右されずに自己の内側から湧きあがる純粋な衝動のままに表現した芸術だ。
スイスのローザンヌにはデュビュッフェの蒐集した作品を元にした「アール・ブリュット・ コレクション」の美術館がある。


酒井「そこでは、前衛とかなんとかの理屈抜きの、本当の意味でなんてゆうか、人間から、ドワーッ!て湧き出てくるというか。作為とか、なんかそうゆう…」
玉木「計算は無いんだ!」
酒井「そうそうそう。そうゆう領域を超えてるんや。」
玉木「いいな~。」
—— ほんと自由ですよね。

酒井「自由っスね。だから僕もイギリスで、いわゆる“商業的な”人に会った後で…」
玉木「しょうもな、と思った後やな、じゃあ。」
酒井「そう、後ねん。それでそのアール・ブリュット観て、本当の意味での人間らしさってゆうか…それを感じれたのは、無茶苦茶大きかったスよ。」
—— やっぱり自分を解放することなんでしょうね。

酒井「そうそう。解放できないとアカンのですよ。パンクにしてもきっとそうなんですよ。解放っスね。」
リミッターを振り切る。己れの限界を定めず、クリエイティヴな感性に歯止めをかけない。そんなメッセージとポジティヴな波動を、かねてより私も玉木と酒井の言動から受け取り続けている。

酒井「そう。だって、精神的なスピードに限界はないですからね。」
玉木「ない。」
酒井「そう。高速にも成れるし、それ以上にも成れるし。」
—— 皆んなもっとハメ外せばいいと。

酒井「そうそうそうそう(笑)。なんで皆んなリミッター外さないのかなと思うんですよ。」
玉木「こうでなきゃならない、みたいなね。」
酒井「ほんとリミットレスにならなあかんねん。もったいないもん!」
—— 何かこう、計算なく、予測不能に突発的なことをやった方がいいのかも。

玉木「イイと思う。」
酒井「結果的にオモロイやんでいいよな、もう。」
玉木「結果的にね。」
—— 予定調和はつまらない。

酒井「ほんと退屈っスよ。だからtamaki niimeは世の中の“不協和音”で居続けたいなと思いますね。」
—— ありきたりではない、異質な音を奏でる…だけどこっちは調和なんだよ、みたいな。

酒井「そうそう。そうゆうこと!」
—— いやぁ、本質的な話になりましたね…。

玉木「良い話が出来たね。」
酒井「うん。」
—— いちおう聞いとこう…。今年はどんな年になりそうですか?

酒井「ほんとに今年は更に五感を磨いて洗練させてゆく一年になればいいなと思います。それは僕らだけじゃなくてスタッフも含めて。」
玉木「(ポツリと)私、また“おばあちゃん”になっちゃった。」
酒井「何?おばあちゃんて?」
玉木「昨年度はウチのスタッフにベビーブームが到来して、niime村には7人もの赤ちゃんが産まれたの。だから、良い流れが出来て、ここにベビーたちも連れて来て、私たち皆んなで育んでゆくという、今年は“生きる”ことに対してすごく良い動きができたらイイな。」
—— niime村に新しい生命を迎え入れて。

玉木「一年前に初子さんが亡くなって、今後私たちの親世代とか…スタッフの親御さんはまだ若いけど、ここの“ファミリー”として、これから先、介護のこととか、どう見取ってゆくかということも考えていかなくちゃいけない時期にも差し掛かっていて。だからそこを、今年は“生きる”を通して“どう死ぬか?”についても、深掘りしていきたいな。」
酒井「生きるってことは死ぬことと表裏一体やからな。」

ありのままの、ものごとの本質をいっそう深く見据えながら、2024年に踏み出した玉木& 酒井、そして「ネイチャーブランド」tamaki niime。
AIの台頭、自然の猛威、国家間の対立…目まぐるしく移り変わり困難を抱える今の時代を、さらに五感を研ぎ澄ませ、毎日全部を愉しむ心持ちを絶やさずに、クリエイトしてゆく。
いま様々に同時進行中のniimeプロジェクト、新たな“航海”の先に一体どんな展開が待っているのか?今年も高鳴る期待を胸に、心踊らせながら、tamaki niiimeに伴走してゆきたい。そんな風に思った。

Original Japanese text by Seiji Koshikawa.
English translation by Adam & Michiko Whipple.